朝日連峰北方 19 善六池と獣臭

優しいお顔の草の道は、次第に歩きにくくなってきて、足元がおぼつかない。いいお天気なのに草が生い茂って根元が湿めっているので、道が濡れている。草の中の道が見えなくて、ゆるい傾斜ながら岩と草が滑りやすい。なんだかヌルヌルとバッチイ感じだ。もっとひどくなってきたらスパッツを装着しよう。

用心しながら行くと、右手に丸い池登場。善六池だ。鏡のように以東岳を映している。そこからは草原地帯だ。広いので乾いていて歩きやすくなった。ここだけ切り抜いて市街に置いたら、すばらしい憩いのプロムナードだ。

その道が終わると登りになる。そのあたりで、どこからともなく異臭が漂ってきた。うっ! すごい臭い。こ、これは、動物の遺骸でもあるのだろうか。

昨日、角力尾根で、野遊は恐ろしいものを見てしまっているのだ。クラッとくるような臭気を感じてすぐ、登山道に赤剥けた鳥の頭が転がっていたのだ。肌モロ出しなのに結構大きかった。何の鳥だろうか。見開いた上目の眼球が、その鳥の恐怖や無念さを語っていて、もう本当に、死にたくないと叫んでいるような感じだった。

ぎゃぁぁぁ〜!とは思わなかった。初体験のとき(鹿の遺骸)は気もヘンになるほどだったが、あれからも体験を積んでいる(^_^;)。もうこういうのは考えても仕方がないのだ、手を合わせて、足早に立ち去るしかない。

立ち去ろうとしたその先の足元に、膨大なる羽が海のようにまき散らされていた。茶に黒が混じった羽だ。その横に、鳥の胴体と足が転がっていた。足は爪をギザッと曲げて突き立っていた。ぎゃぁぁぁ〜!
ついに叫び(>_<)、逃げに逃げたのだった。

かわいそうな鳥。だれに捕まったのだ。羽を全部抜き取ってから食べられるのだな。でも体はまだあったので、これから食べるところを、人間が来たので逃げたか隠れているのか。こんな細かい作業をするのは狸か狐か、だれだろうか。

あのときのような臭気が漂ってきたので、近くに動物などの遺骸があるのかと思ったが見当たらない。それにしてもなんとマイナーな臭いだろう。・・・ハッ! 待てよ、これは遺骸の臭いだろうか。獣臭かもしれない。熊かしら。

ここで野遊は、ネットで見た記事を思い浮かべた。ちょうどこの辺で、ガサガサと逃げて行く熊がいたという登山者の記事で、こんなところにも熊は登ってくるのだろうかと思ったが、そうかもしれない。

♡ミナグロ〜 ♡とか思いながらも現実に出遭うのは恐ろしく、そうだ、ひとりで黙って歩いていたな、声を出さねばと、話しかけた。
「熊さん、近くにおいででしたら、人間が通りますので、恐れ入りますがどいてください。人間通過〜人間通過〜よろしくお願いします。お礼に柏手を打ちます」パンパパン・・・。これでひと安心だ。歩くほどに臭いは薄らいでいった。

野遊はこの先、時々声を出して歩いた。それは普通の声だ。大声の必要はない。動物は耳がいいからね。その先も、異臭は時々フッと漂ってきてたちまち包み込まれ、その正体は不明だが、嗅ぐには耐えられない臭いだ。熊とは限らない。登山道以外の場所に動物がいたり、遺骸があったりということかもしれない。

稜線に出た。相模山はどれだ。目の前の高そうに見える突起か、違うな。そのはるか向こうに黒くかすんでいる突起か。あんなところまで行くのか。嫌だ。帰ろう。

けれどあの突起は遠すぎるな。もうメドガ立ってもいいころだ。向こうの突起の左手に、独特の形をした黒い影が見えた。それは大上戸の岩峰だ。甲斐駒の摩利支天的。それで、あそこまで行くのではないわよねとわかって、そこからこちらに伸びているちょっと長い吊り状の尾根を経た、こちら側にあるもう一つの突起を相模山と断定した。では行こう。