裏剱(7)アクシデント

そのとき、野遊のすぐそばの婦人が転んでしまい、叫び声があがった。叫び声をあげたのは周囲の女性たちだった。
女性はいつもなぜ、人が転ぶときに嬌声をあげるのだろう。
彼女が起きあがろうとすると、血がボタボタッと道に落ちた。道は掌くらいの範囲で血に染まった。これは大量出血だ、と野遊は思った。今思うに、顔面だから最初は多いのだ。
彼女はあおむけに寝かされ、2名の添乗員が介抱した。やがて先頭のガイドもそこに行き、我々は何の指示もないまま、いつまでも放置されていた。

道に立ったまま待つしかない。ここは室堂、プロムナードのようなわかりやすい整備された道なので、ゆっくり先を歩いて行っていいですよとか示唆してほしいと思うのだが。

ガイドたちは我々と段違いに健脚なのだから、すぐ追いつけるし、我々も少しずつでも前に進めて体も温まるのに。
まるで子供の遠足のようだ。規則があるのだろうが、しかし機に応じた判断もあっていいと思った。
(現に次の日、仙人池ヒュッテへの道を、池の平に寄らず直行を希望した顧客だけで歩くこととなったのだし)

どうやら婦人は尖った石で打ったらしく、鼻の横を切り、鼻血も止まらないようで、この様子だと引き返す可能性が大きいのではないかと、参加者たちはささやき合った。
だとしたらこのままお別れになってしまう。彼女、さぞ失望しているのではないか。添乗員2名とガイドは、出血の止まるのを待っている状態になっていて、3人で彼女のそばに立ち尽くしている。

野遊は彼女のそばに行き、「もしこのまま引き返すこととなっても、きっとまたどこかでお会いしましょうね、どうぞお元気でね」と言った。大人数で数日登山など野遊には実に久々だったが、たがいに他者を気遣いながら、助け合って過ごすことが山岳部活動で体に染み込んでしまっているので、声もかけずに別れることができなかったのだ。

やがてガイドが先頭に立ち、「顔面に怪我をしているので、このまま登山を続ければ一生傷になるかもしれない、それでもいいならどうぞと言っておきました」と言い、歩行が再開された。

ロスタイム30分。添乗員のK氏が婦人に付き添って残った。(彼女が転んでから再出発するまでと計算していいなら、ロスタイムは40分だ)