ヒマラヤ山行(19) 不本意ながらトイレの話 Ⅱ「青空トイレ」 

そもそも野遊は、野外で排泄しないタイプだ。もとい!しないタイプだった。
先に行程を調べて、トイレどころも掌握して、それに合わせて体調を調節してきた。そんなこって膀胱炎になるほどの迂闊者ではない、昭和中期生まれだぞ、そのくらいの知識と根性は持っていた。

山岳部メンバーで縦走するとき、女性だからと男性軍に特殊な意識を持たれないように、もちろん「泣きを入れない」とかも含めて、特に身体的生理面で、どれほど苦労したことか。場所を探してからの「お花摘み」は、うしろを向けば立ったままでできる「雉撃ち」よりも確実に時間がかかるので原則「なし」と自分に強いたのだ。

このたび初めて兜を脱いだ。ダイアモクス(これについては後述する)を服用してからは、まるで「かたきをとる」ように水を飲み、無残に尿意をもよおした。

優秀な鬼コンダクターは、ダイアモクスを服用したらそれこそ大量に水を飲まねばならない、そしてジャンジャン排尿して効果があるのですと公言し、我々が休憩のたびにトイレに行くことを当然のことと、むしろ奨励してくれた。

彼は「お花摘み」と言わずに「青空トイレ」と言った。野遊、こっちの言い方のほうが気に入った。「曇天トイレ」「雨空トイレ」「雪空トイレ」いいですね!!

野外トイレは昔から現在まで、環境問題について野遊もかなり意識してきたが、ヒマラヤは規模が違い過ぎるので、ほとんど別問題になってしまう。

女性は青空トイレといっても、岩陰とか、隠れる場所がない場合がある。この一行では野遊のほかに、もう一人女性(ご夫婦)がいるので、彼女について行ったりして教わることがあった。

野遊は、シェルパがたがこちらをじっと見ているのが気になって、場所を決められずにモタモタしてしまう。どこも大抵ほとんど姿が見えてしまうのだ。

恥ずかしいからと後ろ向きにしゃがみ込んではダメ。彼らのほうを向いて目を合わせながら用を足すこと。〈つまり彼らの視線を受け止めるという意〉そうすると彼らは「それ以上、それ以外」に視線を這わせない。〈つまり彼らは「あなたはそこにいるのですね」と了解するという意〉(上記の〈カッコ〉内の説明は、読み手の方からご意見を受け、野遊の書き方が誤解を招く可能性があると気づいて、後日書き足したものです)


そしてシェルパがたは、野遊たちが、そのままどこかに転がってしまわないか、または用を足した後、違う方向に行ってしまわないか、見張っているからこそ、こちらを見ているのでもあったのだ。

野遊が後半から体調を崩してしまったのは、屋内、野外両方の、このトイレ事情も関係していると思う。ナムチェを過ぎたあたりから胃腸が勝手に反乱を起こし続けてくれたのだ。

ということで体についての話として次回は「パルスオキシメーター」です。