ヒマラヤ山行(30)ゴーキョ・ピーク Gokyo.re Ⅰ「セカンドポジション」

2014年3月26日(水)午前中快晴
ゴーキョ・ピーク アタック日!
5360mに登れ!!

起床4:30(いつも通り、柄杓半杯ほどのお湯と、色つきお湯の紅茶MC)
朝食5:00(いつも通りのお料理を、いつも通りトレーごとNo thank you)
出発5:30(体ボロメタだけど喜びと緊張のアタックが始まる)

今日は連泊なので、ダッフルバッグに着替えを詰め込んでドアーの外に出しておかなくてもいい。起きて着替えて、配られたお湯で顔を洗って、あとはそのまま全部バッグに押し込んで置き、アタックザックを持って食堂に行き、食事の後は部屋に行かずに集合場所に直行して、そこで靴を締めたり帽子を被ったりサングラスをつけたり歯を磨いたり、大事なことから先にしていった。

今日は先頭を行くシェルパの後ろに付けさせてもらいます。
このセカンド・ポジションが、集団で歩くときの最高ポジションだからです。
つまり野遊にとっては自ら、この集団で一番初心者ですと認めた行為なのだ。

今までは行列途中に交じって歩くシェルパ(登山靴でなくスニーカーを履いているキッチンボーイ)の後ろを歩いていたけれど、この日ばかりは野遊がベストポジションと思う位置をいただこうと思った。
それは自分が行動中ゼーハーゼーハー苦しく、今にも列から遅れそうな気がして、最高所へのアタック日に、もし遅れを取ったら、皆さんに迷惑をかけ、面目ないと思ったからだ。

トップは同じテンポでゆっくりと歩を進める。二番手、三番手、四,五…と、次第にランダムさが加わっていく。真ん中あたりは最も歩きにくく、いっそずっと後方に行ってしまうと、また違う歩調が出来上がっていく。

途中以降から、かえって歩きやすくなることもあるが、それは列の途中に、優れた歩き手が混じる場合だ。

野遊は行列で歩くとき、自分にとってゆとりの持てる山行なら、できるだけ、そういう役どころ(列途中の優れた歩き手)を担おうとしてきた。または殿。これは知り合い同士の個人山行の場合。野遊がリーダーの山行はもちろん殿。トップを歩く山行はたいてい二人山行で、野遊のほうが弱い場合だ。夫婦山行とか。娘と二人で行く場合は母の野遊が後ろを歩く。

だから逆の立場の今回、普段の歩行は列途中のシェルパ(列途中の優れた歩き手)の後ろのポジションにつけ、(つまり普段は最高席を遠慮しておいて)そしてアタック日は最も歩きやすいこのセカンド・ポジションにつけたのだ。
この思考のすべては、野遊が山を始めた当初の山岳部のイロハに起因する。

けれどこのツアーの方々は、コンダクターも含めて、それほど野遊の「動かざるテキストブック」の原則を意識していないようだった。

いざ出発。というときに野遊がセカンドポジションで歩き出しても、別にだれも気にしていないようだった。我がツアーのクライアントがたは、そういう理屈?を超えて、もっと自然体でおおらかに歩いていたのではないかと思う。野遊には、これより細かくは分析できないが。

実に野遊が理解しがたいことは、リーダーが、遅れがちになるクライアントをセカンドに付けずに後方に回すことだった。これは、いざというときに二分するつもりなのか・・・(そういうようなこともあった)。時々列が途切れると、リーダーがその後列を守るように、ゆっくりの速度で歩いていた。
みんなが元気にそろって歩いているときは、殿に交じったり真ん中に入ったり神出鬼没のリーダーだったが。←神出(神で)鬼なんです。

鬼は「後ろのほうが歩きやすい」と言った。それは「ついていきにくいクライアントは、その人のペースでがんばってくれれば、自分が受け持って守る」という気持からだろうと思う。
野遊も後方にまわって鬼に守られながら登った方が、あるいは登りやすかったのかもしれない。鬼は、なんで登りになるとゼーハー言う野遊が後方にまわらないのかなぁと思ったかもしれない。けれどもだからこそセカンドを歩くのだという固定観念が野遊には染みついている。そこには越えられない絶対なる意識の相違が横たわっていた…なぁんていかにもドラマティックな書き方ですが、そこまで大げさには思っていません(^.^)

ということで、いいのかそうでないのかわからないけど、とにかく野遊は同じテンポでゆっくり歩くトップシェルパの後ろを、同じそのテンポで歩きながら、ゴーキョ・ピークに迫っていったのだ。