ヒマラヤ山行(43)番外編 ネパールを思うⅥ「泥棒」

カトマンドゥの観光地を歩いていたら、広場のようになっている道路の真ん中に、まるで護送車みたいな胴体の長い暗い車が止まっていた。うしろが開いている。警官が我々に「ちょっと寄って見ていくように」というそぶり。指示されるままに中を覗いたら、縦に2列、向き合いの長座席があって、両側に青年が数人ずつ座っていた。目が合った。みなさんきれいな目をしている。可愛い。出入り口近くに座っている左右ふたりの青年は、こちらを見て少し微笑んでいる。

ガイドさんが「あの人たちは泥棒です」と言った。見れば横1列、彼らは数珠つなぎに手錠をはめられていた。出入り口の二人の青年は警官で、片側だけ手錠をしていた。ほんとうにそれは護送車だったのだ。

迷彩色の警官ユニフォームを着ていなかったなら、どちらが泥棒でどちらが警官かわからないほど彼らは同じような風貌をしているふうに見えた。みんなまだあどけない面差しを残している。物言わぬ泥棒たちではあるが、美しく暗いまなざしが、何かを言いたそうだった。泥棒といっても万引きや恐喝、空き巣とか、もっといろいろな種類があるけれど、彼らはどういう泥棒をしちゃったのだろう!

こんなにたくさん、自分の物でない物を盗む若者がいるのか。誰が盗みなんかしたいものか。なんでよ、なんでこんな若者をたくさん排出しちゃうのですか物も心もお粗末な!

彼らは日本の若者たちの、いわゆる万引きごっこ?のようなチャライ気持ではないだろう。本当にそれが欲しくて、買えなくて盗んだのだろう。だからまともな泥棒なのだろう。彼らはそこまで貧しているのだ。悪いことをした青年たちだけど、彼らをいわゆる不良とか軟派とかゴロツキとか思えない。なんだか神様しかこの子たちを罰せないという気がする。
 
泥棒をつかまえて牢屋に入れても、そのくらいでは彼らはちっともめげずに、また泥棒を繰り返すので、こうして観光客に姿を見せて、恥ずかしい気持にさせるのだ。そうすれば彼らも少しは恥ずかしさを知って、罪を繰り返さなくなるはずだ。という主旨らしい。本気でしょうか、なんという手段であることか。
オンマニペメフム!泥棒を罰する方法を考えるのですか泥棒をなくす国にすることを考えるのですか。



   *次回「ネパールを思う」は終章「物乞いを見て決意する」*