ヒマラヤ山行(38)番外編  ネパールを思うⅠ「出稼ぎ」

2週間のトレッキングの後はカトマンドゥ観光旅行になり、毎日おいしいものを食べて体調も回復し、ヒマラヤ遊覧飛行に参加したりと遊んで帰路についたカトマンドゥ空港で、野遊は異様な光景を目にした。

野遊たちと同じバンコク行きの飛行場には、多人数のネパリが並んでいた。主に青年達で、中にはまだあどけない面差しの少年あがりもいた。中年男も混じっている。だれもが大きい荷物を背負って並んでいた。荷物はたいてい使い古したようなリュックサックで、ボストンバッグを持つ人は少なかった。服装にも明るい印象はなく、旅行のような華やかさもない。

みなさん個人の参加のようで、たがいに語り合いもしていない。時々指導者のような男が来て、彼らに何か指示している。テキパキと応じる人はなく、みな無言で指示を聞いていた。その目がネパリ独特の、物言いたげな、鬱したような目に見えた。

あれは「集団就職」の図だった。そしてほんとうにそうだった。彼らのお陰で飛行機は大入り満員だ。

機内で、野遊は窓側の席になり、青年が隣に座ったが、彼は飛行機が動き出すと、野遊の肩すれすれまで伸びあがるように窓外を眺めた。珍しくて驚いている感じだった。3時間半くらいのフライトなので、野遊は席を立たず座ったままでいた。隣席青年とは無言のままだったが、着陸が近づいてきたとき、短い会話を交わした。野遊からその青年に「これからどこに行くのですか」と尋ねた。
彼は「マレーシア」と答えた。「仕事をしに行くのですか」「そうです」。

野遊はネパールの多くの男性が、生活や家族を守るために出稼ぎに行く光景を見たのだ。
そしてこの光景はネパールの空港には、日常茶飯事で見られるものだったのだ。

彼らのうちの何割かは初志貫徹し大金を得て帰国し、何割かはそのまま環境に飲まれて身を持ち崩し、また何割かは待っている家族に異変が生じて(妻の心変わりとか)一家離散となり、さらに何割かは命を落として棺で帰国するのだ。
これらの比率は、決して成功者が多いとは言えないのだ。

さて大金を得て帰国した人たちは成功者と呼んでいいのだろうが、そのあとはどうなるか。家を建てたり車を買ったり、ネパールでこつこつ働いていては手に入れられないものを得るが、その先はそのままという場合が多い。
そして生活が少し潤っても、やがて貧していく。中には再び出稼ぎに行く人もいるが、なんだか発展性が感じられない。

資金を元に商売を始めて、さらに末永く発展していくというケースは極めて稀のようだ。
もっともそれ(商売)が発展性とも思わないが。・・・何か・・・わからない。

                       *その実態は(39)へ続く*