シュレスの夏 7 3週間のホームステイ、日程が決まる

鎌倉の夏祭りや花火大会をシュレスに見せてあげたいと思っていた野遊だったが、7月は牛歩のごとくの進展で、いったいいつ彼が日本に来るのだろう、こんな進捗状況のままでは、夏が終わってしまうと心配だった。

けれど実はお祭りや花火大会は、この滞在にお花を添える程度のものであり、彼に最もよく似合うのは、山だったので、夏の安定期に登山する計画を立てていたのだ。その時期が過ぎてしまいそう。7月が過ぎた。

L氏からようやく連絡が入って、シュレスの日程が決まった。余念なく作成した書類も、最終的には無事通過して、8月4日カトマンズを発ったシュレスは、成田に5日の朝、到着することになった。そこから3週間、8月25日に成田を発つまで我が家で過ごすことになる。

野遊は春のトレッキングで、いつかシュレスにお供してもらって再びこのヒマラヤを歩きたい、と思ったものだが、日本に彼を呼ぼうとは思わなかったのは、彼は現地にいてこそ真価を発揮できると思ったからだ。彼を日本に持ってきても似合わないし、しおれてしまうのではないかと思ったのだ。「やはり野に置けレンゲソウ」という言葉があるでしょ。

でも呼んでしまったのは、彼がこの夏からマレーシアに出稼ぎに行くと聞いたからだ。それも6年間だ。出稼ぎ事情を彼は知っているのだろうか?それを承知で多くの若者たちは意気揚々と他国に身を投じに行くのだろうか?それほどその仕事は「世のため人のため」になる、誇りある業務なのか?違う。仕事の内容など何でもいいのだ。この仕事をこそしたかったなんて夢もないのだ。ただお金のためだけだ。

ちょっと待ってよSuresh!それなら日本に来て!そして日本語を勉強してください。

(野遊は、彼がもとから日本語を勉強中で、カトマンドゥの学校に行っているのを中断するのかと思ったのだ)(それが大きな解釈違いだったのだが)(ここは何度書いても仕方ないのだが、彼はかのトレッキング中、トレッカーに自分でそう言ったのだった)

けれど彼が日本語学校に行っていなくとも、これからでも間に合う。日本語が話せれば日本で仕事ができる。環境はマレーシアほどひどくないだろうと思うし、収入も悪くないはずだ。野遊も協力できる。

そしてある程度の収入を得たら、とっととヒマラヤに帰って、彼らしい仕事を続けてほしい。けれど日本語を習得できないまま、結局マレーシアに行くこととなったとしても、この体験はきっと今後の素晴らしい役に立つだろう。と、思うことにした。