Sureshの夏 6 行きたい時が行ける時

でも、この夏だけ日本観光体験ができたとしても、その後マレーシアに出稼ぎに行くシュレスを止めることはできないだろう。彼はいずれ、何年という年月の契約の元に国を出て働くつもりなのだ。ほかに何かいい方法はないのかって、ないのだろう。野遊に何かできることがあるだろうか。

シュレスがヒマラヤにいなくなってしまうと、次のトレッキングをソロで決意している野遊の計画は宙に浮いてしまう。女性のソロは色々な面で危険が多い。観光産業に頼るネパール政府も、トレッカーや観光客が、現地のガイドを雇うことを望んでいる。

観光会社を通して、ベテランのガイドを雇うのが、最もオーソドックスな手段だろうが、これも気が合わなかったりすることがあるかもしれない。長期間のトレッキングで、初顔合わせは不安だ。第一仲介料もガイド料も高額すぎるし。ベテランガイドとやらにに誘導されながら歩くのも嫌だし。それにたいてい、ガイドとポーターと2名雇うように勧められる。

顔見知りのシュレスならこれらの問題が解決するのだ。双方にメリットがある道を考えられる。

野遊もすでに若くないし、行きたいと思える今が「行ける時」だ。先延ばししても、来年はもう歩けないかもしれない。
もっと血気盛んに、体力も充実して登山を重ねたかった時期はあるが、そういう時期は時間はあけられないものだ。みんなそう。
つまり時期を持てる年頃になったのだ。そしてこの年頃はわずかな期間しかないのだ。

自分のこういった状態と、シュレスの状況を照らし合わせて、もし彼が日本に来て、無事に滞在期間を過ごせたなら、野遊はこの秋のトレッキングシーズン(10月)を、彼にお供してもらって、存分にヒマラヤを歩こうと思った。

シュレスのためだけではなく野遊の次回のトレッキングのために、野遊がシュレスの人となりを見るために日本に招待するのだ。
もちろんそれはそのままシュレスのためにもなるようにと野遊も努力する所存。