シュレスの夏 27 甲斐駒(5)仙流荘で

野遊がもっと旅行や遊行が得意なタイプだったなら、街まで出ていって近場の名湯に案内して、その土地のお料理や地域の名産を楽しんだり、次の日は観光して帰途についただろう。でも野遊は不器用に、麓に2泊して明日は来た通りに帰る。

仙流荘についたら、まずはお風呂。ジャグジーがいくつもある広いお風呂は気持よく疲れを癒してくれた。そして18時半、隣の部屋のシュレスに声をかけて夕食の部屋に行く。普通の食事がいいのだけど、昨日と同様今どきの旅館風の、統一性のない多種類料理で、これはそのホテルのやり方なので仕方ない。

正座して向き合って食事しながら、登山のままの恰好でいるシュレスに、お風呂に入ったかと聞くと、入らないと答える。お風呂に入るように言うと、お風呂は嫌いと答える。でも、汗をかいたでしょうと言うと、汗はかかないと答える。だって気持悪いでしょ、お風呂が嫌ならシャワーだけでいいからと言うと、このままで平気だと答える。

食後、シュレスの部屋に一緒に行って、戸棚を開けて大型タオルと小型タオルと、ゆかたがたたんであるのを出し、これを持ってお風呂に行くように言うと、シュレスは驚いたようにそれらを見た。戸も開けなかったのだ。昨夜は着替えずにランニングシャツで寝たのだった。

嫌がるシュレスをけしかけるように入浴を促し、一緒に部屋を出た。シュレスはザックごとかついでどんどん先に歩いて行く。怒っているみたいで、すごく速い。長い廊下を突っ切って、ふりむきもしないまま男湯に入って戸を閉めた。

野遊はシュレスのタオルとゆかたを持ったまま追いかけて、目の前で戸を閉められてしまったのだ。なにこれ。野遊は、さすがにちょっと迷ったが、やがて意を決して、戸をがらりと開けて、中に入っていった。

出入り口近くのロッカーの前にシュレスがいて、ほかのお客さんは幸いそこにはいなかった。シュレスは服を脱いだところだった。野遊はつかつかシュレスに歩み寄り、タオルとゆかたを手渡した。そのまま即出ていったのだが、戸を閉めるとき、ふとシュレスをふり返ったら、シュレスは手渡されたままの状態で呆然とこちらを見ていた。

野遊は今もあのときの、タオルとゆかたを両手に持って立っているシュレスの姿を思い出す。あのときは知らなかったが、シュレスは自分のタオルを持っていなかったのだ。
ペーパー類も布類(ハンカチやタオルなど)も使わない生活をしているのだった。

シュレスは昨日、お風呂に入って濡れた体をそのまま衣服に包んだのだ。だからお風呂が嫌だったのだろう。

迂闊にも野遊はシュレスが登山中に、タオルを持っていないことに気づかなかった。出がけにゴスケが、これを首にかけていきなさいとタオルを渡したが、シュレスは使いようがわからないために置いて行ってしまった。

多分シュレスはタオルにボディーソープをつけて体を洗ったりはしなかっただろう。でもタオルで体の水滴は拭いたと思う。ゆかたは着なかっただろう。どうして野遊は、シュレスの部屋で、ゆかたの着方を教えてあげなかったのだろう。野遊はシュレスに、ゆかたを着せてあげたかったなあ。そして写真を撮っておきたかったなあ。

野遊はシュレスがこんなに好きなのに、どうしてこんなこともしてあげられないのだろう。