北アルプス・奥大日岳

今回は3人組で山歩き。今年は劔の映画によって、立山方面は混むかなと思ったが、大日三山に行きたいと思ってしまったので、劔を眺めながら歩く計画を立てた。連れのプーコに劔の雄姿を見せてあげたかった。

8月5日、高速バスで富山に向かい、6日、富山電鉄で立山入り、そこからバスで「称名の滝」終点まで。称名の滝周辺は「悪城の壁」などの岩壁物々しく、滝は道を曲がってから急に姿を現した。落差日本一の大瀑布350m、見あげる彼方から4段になってドチャドチャ落ちる水量がすさまじいばかりで圧倒された。春の雪解けなど水量の多いときは、ハンノキ滝というのが横からもう1本、生まれるそうだ。ゆっくり遊んでから、大日岳登山口に取りついた。夏休みながらこちらに入る人は思ったより少ない。

大日平まで。なんだか登りはじめてやがて急登になっていき、そのままずっと3時間の急登だった。岩場で、岩が大きくて、いちいち足をヨッコラショと大きく上げなければならないのが登りにくかったけれど、ま、先々週登った雲ノ平の鉄砲登りを思えばそれほどでもないかな。もうすぐ森林限界のニオイが・・・と期待しても、行くと、さらに上があったりして。

「小さな広場」とガイドブックに書かれてあるところに出ると、本当に小さなスペースがあるだけで笑った。女性が一人いた。大日平小屋のバイトに行くと言う。大日平小屋はずっと前からバイト募集をし続けていたので、そうか、よかったよかったと思った。彼女はあまり足をしっかり進めていないので、疲れているらしい。先に行くことにした。

やがて休憩を取ると、プーコが谷川の石に腰かけようとして、その脇にリュックを置いた途端、リュックが落ちてしまった。草で覆われていたからわからなかったらしい。一瞬3人で驚き、連れのゴスケが「なにやってるんだ!」と、怒ったイントネーションで声をあげ。プーコはちょっと青ざめていたが、でも大したものは入っていないとか言っている。そういう問題か。

プーコは谷をのぞいて様子を見る。取りに行こうとするので、わたしは制して自分が行った。幸いリュックは下の道に転がっていて、風に吹かれてゆらゆらしていた。もう一度転がったらまた落ちそうだったけど、まあ焦らずに慎重に取りあげた。よかった。で、一件落着して顔を見合わせてほっと笑い合ったが、これは深く反省すべきことだと思っている。

まず「山側」と、いくら言葉で言っても、なかなか習得しないものらしい。プーコは少ししか山に登ったことがないので、こちらがいちいち気をつけてやるべきだった。あれはわたしの失敗だ。でもプーコは怖い体験をしちゃったから、次からは大丈夫だろう。でも体験をして習得している場合ではないのだ。一歩間違えば命取りだった。山の神さまが、一度だけ、わたしたちを許してくださった。

それから、とっさに怒声をあげたゴスケにも反省してもらいたい。失敗した者はかえって焦る。プーコは自分でリュックを取りに行こうとした。もしどきどきして事故でも起こしたらどうする。ああいうときはまずは落ち着くしかない。とにかく無事で、本当に神様に感謝した。

牛の首の岩場を越して休憩していると、さっきのバイトさんが来た。途中でこちらはリュックの事件などでずいぶんゆっくりだったはずなのに、バイトさんはもっとゆっくりで、相当バテテいた。でも道はひとつだし、やがて着くだろうと、置いて行った。

昼過ぎに、もう大日平小屋に着いてしまったが、この小屋に泊まりたかったので、予約通り荷を下ろしたら、こんな時間なのに、お風呂にどうぞと言われた。立山周辺は温泉宿が多いので、温泉でなくとも山小屋にこういった設備が多い。小屋の主人は、立山の有名人、佐伯一族の一人だ。そして大日三山のヌシとも言える佐伯民吉さんのお孫さんだ。佐伯民吉さんは、戦後、山小屋を経営する者たちに、強い態度で売り上げの何割を提出せよとか言ってきた富山の林野庁と、悪戦苦闘した歴史を持った人だ。「お上には逆らえない」という言葉を残した人は、この民吉さんだった。と思う。で、お孫さんに会えて、心の中でちょっと感動した。

さて大日平小屋はこのご夫婦でやっているので、そういう場合、トイレがきれいだ。ブーコもほっとしている。バイトさんを迎えに行ったら徒ゴスケに言ったが、勘弁してくれと言われた(^・^)。お天気も悪くないし、ま、いいか。

小屋の裏手にまわると、不動の滝が見おろせた。これも美しい滝だった。それに、この場所がよかった。おそろしく狭いけど見物台になっていた。やがてお風呂に入り、テラスで休んでいたら、バイトさんがあがってきたので喜び合った。この小屋、今日から3人になる。奥さんも少し楽になるだろう。そのうちガスが出てきて、もう一度不動の滝を見にいったら、もう真っ白で何も見えなかった。
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