千一の恩師・中村平八先生

神奈川大学教授、中村平八先生が、なくなられた。この先生は、教え子千一を、こよなく愛していた。教え子が一生懸命生きる姿は、師としては喜びなのだろう。それをまっすぐに表現される方だったと思う。いつも明るい千一、幼いころから、人々の愛情を浴びながらも、時としては辛い体験もあり、障害を持っていることで、理不尽な悔しい思いを浴びたこと多々。それらを一気に笑いに変える、本当に明るい千一、彼から、深夜、わたしは電話を受けた。

仕事(用事)ではなかった。千一は、悲しんでした。わたしの知っている言葉を、音声キーボードでつづるばかりだった。「恩師でした」「自分が大学に入るときもお世話になり」「卒業後、就職するときも、ずっとお世話になって」「市議会議員になってからも、励まされ・・・」「恩師でした」「恩師でした」

わたしは、二つのことを感じた。「中村先生は、千一を応援してらした」ことと、「数え切れない教え子みんなを、応援してらしたのだ」ということを。

4年前の市議会議員選挙で、選挙事務所に、中村先生がたずねてこられたことを思い出す。「千くん、体に気をつけて、しっかりやってください」と、お土産を置いていかれた。千一は留守だったので、わたしが接待したが、先生は少し歩きにくそうだった。その中を、事務所まで運んでくださったのだ。

千一は、今回ばかりはいつもの冗談も出ず、実に、実に肩を落としていた。

わたしは言った。以下、二つのことを言った。「千さん、中村先生は、天国で、千さんを見守ってくださっていますよ。もう一人で立派に歩いていけるよねって」「千さん、人間半世紀以上生きると、これから毎年、別れの悲しみに出会います。だからね、今、生きている人を大事にしていきましょう」

それは、わたしがかつて大切な携わりをなくして落胆していた折、母に言われた言葉だった。その母も今はいないが。

以下、神奈川大学助教授、堀野先生の言葉を転載します。

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中村先生には、鎌倉バリアフリー研究会立ち上げから御尽力頂きました。芯は強いが、地味な先生との印象が強いですが、その精神力と理念には敬服しておりました。

数年前の経済学部退官記念パーティ(ラックスホール)にも出席させて頂きましたが多くの友人・知人の祝福スピーチから、若い頃はなかなかの闘士であられたと想像しました。

神大在学中から面倒を見られたという背景もあり、車いすの議員は世界のあちこちでいらっしゃるが、複合傷害を乗り越えての議員は「世界広しと言えど千君だけだ」と千さんの社会的活躍が余程嬉しいのか、研究会の討論でも事あることに「せんくんは・・・、せんくんは・・・」と活躍をたたえる先生の口調が今も耳に響いています。

先生の純粋な遺志を継いで鎌倉バリアフリー研究会の活動がますます地域に定着し横に拡がるように祈ります。

第1回目公開シンポジウムでは本館上階の経済研究所を自由に使わせていただき資料を製本印刷したのでした。

長年の闘病生活、大変だったのでしょうね。でも、今はもう楽になられたのかも知れませんね。

謹んで先生のご冥福を祈ります。