野遊・呼吸の世界 3  エヴェレスト遭難事故1996年の前に

(4)エヴェレストはゴミの山

自分がこんなこと書いてもどうなるわけでないし、それに、思うことが膨大で、どうしていいかわからない。でも自分が自分にああだこうだと言い続けてきたことが、もう飽和状態になって、自分に言い聞かすつもりで、ごたごた書いていってみようと。それは自分が今もできる範囲内ながら登山をしていて、どこであっても、今、この一歩を、こういうふうにはずしたら死ぬな、と、いつも怖いと感じながら歩いているからだ。そして普段生活しているときは、朝、窓から漂う空気にも、ああ、山に行きたいと思ってしまうのだ。ごくたまにしか行けないし、スケールが違うけど、山恋の切なさを知っている。隣り合わせに遭難について考える所以だ。

ほかの高峰もそうだが、特に最高峰のエヴェレストは、皆さんが登りたいので、ゴミの山になってしまった。登山者はゴミを山に捨ててきた。まだ使えるものも、重いので捨てた。テントもボンベも排泄物も。下ろせない遺体も。凍ったままのそれらは土に還ることなく、あちこちに遺棄されたままだ。75年経ったマロリーの遺体が、生々しく発見されたように。

山を大切に思って登る人々のはずが、観光気分や興味だけで、あまり苦労しないで登れるようになっていくと、それは益々ひどくなった。というか、人数が増えたから山が汚れた。でも、素晴らしい山があれば、人が登りたくなるのだから、どんなやり方でも登りたいという人の気持を拒絶するべきではないとも思う。


(5)日本の小さい山の場合でも


山で、どどっとしたのに巻き込まれると、わたしは不運だと思う。すれ違うときも、引率者らしいのが「道あけてぇ!」とか、「山側に寄ってぇ!」とか大声で言い、スズメみたいに騒ぎながら「こんにちは」と言われると返事したくない。相手は下りでも、こっちはあえぎながら登っていたりしているのに、30人くらいの団体が口々に挨拶するのに答えていられない。でも縦長だから、最初の人に挨拶しても、少し行けば、また声を出さないと、道をあけてくれているのに黙って通って、失礼になる。ずっと並んで待たれれば足を速めなくてはならない。(苦しい時はゆっくり行かせてもらうが、ちょっと苦しげな演技する^_^;)ここら辺まではまだありがたいものだと思うが。

こちらが下りのときはもっと嫌で、待っても待っても列が終わらず、ようやく歩き出そうとすると、やがてまた次ぎの団体が来る。ペースが狂うのが辛い。で、ちょっと道幅がある場合などは、わたしはよけて、横から降りようとするのだが、そうすると、それを見た下の連中は、そっちが道かと思うのか、こちらに向かってまっすぐ登ってきてしまったりする。結局道をあけて待つことになる。自分で判断できないのか。こっちだって余裕があればともかく、必死なときは不愉快になる。

また、登り優先説を盾に、下りのたった一人の登山者を、それこそ何十分も待たせて悠々と列を為す団体もある。礼儀も臨機応変も、当然お互いの阿吽の呼吸もない。登りを待たせてがんがん下ってくる下山者の列も出現しているに至っては論外である。この論外が増えてきて、これからは論外が主流を為すのか。

最近そういうのに会うのが俄然多くなり、「山で会いたくないものは雨、雷、ガイドつきの団体」と思う。あなたまかせで登るから、何かあったらどうなるのだろうとも思う。北海道のトムラウシ遭難のことを言ったら残酷かもしれないけど、いつまでも「連れていってもらう人」でいてはどうかと思う。

でもこの人たちも、山に来たいのだ。もっと優雅に旅行できるのに、汗水たらして山に登りたいのだ。もう若くなくて、今後自分で登山することはなく、連れて行ってもらえるから行く、という人たちも多い。こういう人たちは自分としては歓迎なのだ。で、どうも自分の中でごちゃごちゃなんだけど、とにかく会社に申し込んで登山する人たちを一概には批判できない。・・・ごちゃごちゃなんだ。
その延長線上にエヴェレストがある。