野遊・呼吸の世界 6  シェルパ、ポーター

(8)ヒマラヤ街道

ネパールのカトマンドゥ、さらにルクラまで入ると、そこにはわたしたち日本人には想像できない未開発な文化生活がある。ヤクーの糞を炊いて暖房にするのだが、建物の中にニオイが立ち込めるそうだ。子供が大人を手伝って、ヤクーの糞を集めてくるとか。
回虫をお腹に持った人も普通だとか。食べ物にしても、言いだしたらキリがなく、やわな連中はとても暮らせない。でも、日本では見ることのできない雄大なる自然があり、それに惹かれるのだ。順応できていくと、現地民の温かさなどにも触れることができて、これも素晴らしい体験だろう。

でも、そんなきれいごとだけではない。貧しい生活の彼らは、登山者たちの荷物を持って山に登って収入を得るのだが、女の子までポーターを志願して、背中を曲げて荷物を運ぶそうだ。で、いろいろ知恵もついて、ここでは困るというところでエンストを起こして料金を値上げさせたり、荷物を放って帰ってしまったりすることもある。日本人は払いのいいほうらしく、いっぱいもらうと彼らは、次の登山隊でもそれを要求するから、日本隊やイタリア隊はほかの国の登山隊泣かせだったりするようだ。ドイツ隊は頑として約束以上のものを払わずに、ポーターに帰られてしまい、体力温存すべき隊員が、何往復もして荷物を運んだとかいう実話もある。こまったもんだ。

シェルパたちに「だんなさま」とか呼ばせて、テントも食べ物も別にして控えさせる使い方を、野口健は反対する。一緒に暮らしてこそだと。もっともなことだ。けれど、こちらはお金を支払って雇っているのであって、現地雇いの彼らは、共に登ろうという仲間ではないし、彼らも、生活のために志願するのであって、本当は山に登りたくないという人が多い。彼らの人生意識とは落差があるので、親しくしたり、差をつけたりするのも、程度問題だと思う。野口健ほどにもなると、そういう民族とも問題なく親しめるのだろうが。なまじの者がそれをやれば、思わぬしっぺ返しを受けることもあるのではないか。ポーターさんシェルパさんだってしたたかなんですよね。

山に登るのに入山料がかかるとは・・・それが高すぎる。いくら貧しい国だからって、自国に高い山があってそれを売りにしていいのだろうかと。富士山は無料だけど、清掃管理のために入山料取るべきだと、野口健は言っているが、それでもいいけど、ネパールはそれを超えて高すぎる。ちなみに一番高かった時期は、一人7万ドル。それにポーターやシェルパ代。交通費、装備、宿泊費、食費・・・軽く1000万円を超すだろう。
今は値下げがあって一人2,5万ドルになった。7人そろうと割引がある。にしてもやっぱりヒマラヤは高すぎる。人が経費を注いで建てたものではないのに何たることだ。

それでも行きたいのだ。そう、自分も、そんな費用があったら、ほかに目がいかない。ヒマラヤに行きたいと思う。あの壮麗な高峰を、自分の目で見、そこに立ちたいものだ。

カラコルムだったらやっぱり峻嶺K2がすごいと思うけど、昔、お話で知ったディランがいいな。なんて憧れているうちは普通なんだろうけど、本当に是非行きたい人たちがいて、行ける人たちがいる。それで難波康子。この人は、わたしと同じ年代の女性で、わたしと同じくらいの時期に、同じような日本の山をやっていて、以来ずっとその道を追求していき、47歳にしてエベレストを目指した。あらゆる条件を受け入れて、ロブ・ホールのアドベンチャー・コンサルタンツに申し込んだのだ。