野遊・呼吸の世界 8 隊長の苦労

(10)イレギュラー

ロブは、5月10日を頂上アタック日に決めていた。同時期にBC入りしたほかの登山隊と、打ち合わせをする必要があった。アタック日が集中すると危険だからだ。アメリカのマウンテン・マッドネスという会社の社長、スコットフィッシャー隊長と話し合う。スコットは、ジョンが顧客として参加する予定だったのを、ロブに取られたかたちになったので、本当は残念だっただろうが、ほかに登山家としての有名人ピート・ショーニング、雑誌などで登山服を着て宣伝している女性ジャーナリストのサンディ一・ピットマン、有名なスキーヤー、何か書いてくれそうな文筆屋などを顧客に迎え入れていたので、ロブとは遠征中もトラブルなく、いいコミュニケーションを保っていた。ロブもスコットも文化人なのだ。二人は話し合って、同じ日のアタックを認め合った。

けれど、この年は、というか、もうこのころから年々、モンスーン前の登山日和の時期のベースキャンプでは、エヴェレスト登山者がひしめき合うようになっていた。彼らはアタック日を調整し合わなければならなかった。個人登山者もいた。これは人数的にさほど問題はないが、南アフリカの遠征隊(雇い人を入れて20人以上)と、台湾遠征隊(雇い人を入れて5人くらい)も鉢合わせていたので、話し合ったのだ。台湾隊は隊員2名。5月10日は避けましょうと了解してくれたが、アフリカ隊は、自分の気に入った日にアタックすると言って譲らなかった。解決策を考えようにも、「腕で決着をつけようか」とすごんだそうで、ロブもスコットも、こんな野蛮な連中とは話し合うのもうんざりだと、あきらめてしまうが、心は憤慨でいっぱいだっただろう。頂上が近づくにつれて、隊長たちのこんな事情から、それまでテントを行き来して、人種を超えて個人的に仲良くなった隊員たちの交流も途絶えてしまう。

が、この命を的にした高所に於いて、あきれ返るばかりの非文化的言動をしたアフリカ隊は、その5月10日は、テントから出てこなかったのだ。実情は不明だ。怒るだけ怒ってすごんだ上で、同じ日に出かければ当然一緒に登るので、嫌だったのかもしれず、気が引けたのかもしれず、あるいは彼らサイドの事情があったのかもしれないが、その後、スコット隊、ロブ隊が遭難して、アフリカ隊の健全なトランシーバーが必要だったときに、彼らは貸してくれなかった。そんなことが許されるか? 人命にかかわることなのに、どうしてその後、このことを、今後のためにも、世界で非難追及しなかったのか、わたしには信じられない。少なくともこの件に於いては、アフリカ隊は野蛮人以下、人非人以下だ。

しかし、もっとタチの悪いのがいた。台湾隊だ。台湾隊は、その日を避けましょうと約束しておきながら、なななんと、5月10日に、無断で、ほかのアタック集団に混じって出発したのだ。それだけでも許せないのに、この台湾隊、のろくてのろくて、追い越すに追い越せないところで、全体のラッシュをきたすのに充分なる失態をやらかしている。「台湾隊員(高といった)とシェルパはピッタリくっついた食パンみたいに」道をあけてもくれずに、下で待っている登山者たちを凍えさせ、彼らの時間を侵食していったのだ。しかも、高は下山中に遭難して歩けなくなり、多大なる迷惑を周囲に振りまいて、しかも、ベックに向けられたヘリコプターを拝借した。

2名で来た高は、アタック前に、もう一人の隊員を失っている。その隊員は、朝、排尿か何かで、アイゼンをつけずにヒョイとテントを出てしまって、直後滑落死してしまったのだ。なのに高は出かけた。ひどい!けれどこれは非難しがたい。似たような話はいくらでもあり、これは登山のひとつの鉄則めいてもいて、どう選択しようが、それなりの論理があるのだ。高には悲壮感があっただろう。でもだからって、いくらなんでも、アタックする登山者全員のこんな最終的重大なときに、断りもなくシャランと混ざるのは許せない。それも、高がいることによってみんなが助かるならともかく、リードどころか、ほかの隊につけてもらったロープを使いまくって、しかもノロノロ登って足を引っ張ったのだから許せない。違反者台湾人高は許せない。許せないとはこういうときに使う言葉だ!

遭難は、天候の急変によってどうしようもない場合があるとされているが、元を正していけば、どこかに必ず隙があるとも言われている。あの遭難事故も、あそこここ、人為的なものが原因だったのだ。もちろん、以上の原因だけではない。もっと恐ろしい原因が潜んでいたのだった。
つづく。