野遊・呼吸の世界 18  頂上直下の惨劇

(22)ロブ、あなたは遭難したのか殉死したのか

殉死という表現をした本もある。あのような合理的な生き方をしていたロブ・ホールが、じゅじゅじゅ殉死なんてあり得ない。でも結果的にはそういう表現も可能だ。

ロブのトランシーバーは、通信後もスイッチが切れていないことがあった。それはロブが高所にやられていたからだろう。壮絶な言葉。誰かに向かって叫ぶ指示。相手はダグ・ハンセンに違いない。ダグは、ヒラリー・ステップを下れたのだろうか、滑落したのだろうか。

ヒラリー・ステップを過ぎた南峰地点で、ロブはベースからの交信に答えている。「ダグはいない」と。そこでロブは座りこんでしまっていた。どんな過酷なドラマがあったのか、想像できない。

ここで、ジョン・クラカワーの、「アンディはテントに戻った」という勘違いの情報がベース経由でロブに伝わり、ロブは混乱するのだ。「なんだって?アンディはどうした」と、繰り返し、体の効かない状態でロブが質問するのだ。ロブの不安を和らげようと、ベース隊は「大丈夫アンディはここにいる」とまで言ってしまう。

そのことで、ロブは益々混乱する。「アンディは、さっきまでここにいた」と。それはロブの錯覚だったとすると、ロブは何がなんだかわからなくなってしまうのだ。ロブは言う。「アンディの服が、ここにある」と。

ああ、なんと恐ろしいことだろう。アンディは、ロブのために登り返していたのだ。高所病に犯されながらも、アンディは、せっかく降りたあの岩壁を戻っていたのだ。あるいは酸素ボンベを担いで戻ったのかもしれない。1メートルでも下りたい危険な状態、一歩一歩が命取りになる状態で、それを逆行した。ロブを慕って!

後日、登山者によって、ロブの遺体と、そのそばに散乱するアンディの装具が確認された。衣服まで。アンディは気が狂ってしまったのだろうか。アナトリの場合と比らぶべくもない親愛のケース。

ロブ、ロブ、頼むから立ち上がってくれ、足を運んでくれ、そこを下りて、テントに入ってくれと、べースからの必死の声にもロブは動かなかった。最後は、「手足も凍って、どうして今から降りることができるんだい?」という返事だったそうだ。

ロブには、子供が生まれる予定だった。ニュージーランドの奥さんとも交信をつなげられるというすごい時代だ。ロブは妻に、子供の名前を授けた。心配しないでくれという言葉で交信を終え、その後、トランシーバーのスイッチを切ることもできずに、しのびやかに泣く声が流れてきたという。

ロブ、そのときに言えばよかったのに、ヒラリーに向かって。言いたいことあっただろうに。死の間際の言葉として、何か一言ヒラリーに。でなければヒラリー、自分の言葉が非の打ち所もなく永遠に肯定されるものとなってしまう。事実なってしまった。ああわたしはガイド登山を、どう肯定否定すればいいのか、言葉を知らない。が、そこまで徹底したはずのロブは、この期に及んで、すでにそんなこと無意味になっていた。息絶える前のロブには、もっと頭をいっぱいにすることがひしめいていたのだろう。

もしロブが、単独で山を降りて命長らえたとしたら、どうだったのだろう。さまざまな非難を浴びたのではないだろうか。ロブは、想像するに易しい自分の今後に、マイったのでもあると思う。ついにやってしっまたと。加えて通信で、ベックや康子の消息も聞いただろうし。ロブは生きて帰れなかったのだろう。

ロブは、すごいことをやってきた商売登山家だったので、どうもすみませんでしたと挨拶して再び歩み出すことができないようなことをやってしまった。遭難事件を起こさなければ、事実を見よとばかりに、その後も続けただろう。事実がすべてだ。その意気込みでやってきた。今回が不運にも遭難につながっただけであって、そうでなくとも、いつも、まかり間違えれば、その危険を隣り合わせにはらんだ行為を、成功で押し通してきた。有名人ヒラリーの言葉が即世間だ、ほら、やっぱりこういうことになるじゃないかと判決を下され生きていく道はなかったのだろう。ロブを責めさいなんだのは、彼が予想する世間の心情だ。人間的苦悩だ。

ロブはステップを越えた南稜の、つまり頂上直下で座りこんだまま息絶えた。おお神よ、女神よ、エヴェレストよ、この人の才気を、ここで召し捕るのか。