バリアフリーを考える(2)鎌倉駅講内のエレベーターにもの申す

鎌倉駅は東口西口二つの改札口がある。駅構内は改札口より低くなっていて、何段か階段を降りるのだが、数年前、このバリアフリー精神に則って東西両階段に、エレベーターが設置された。最初にそれを言い出し、鎌倉駅に打診に行き、何年も活動してきたのが千一なのだが。(後半はほかの議員も活動した)

エレベーターはたたみ4畳半分くらいのスペースが必要だから、出入り口がぐっと狭くなった。景観も悪くなった。

また、その低い講内からホームにあがるのに、長い階段があり、何十年か前エスカレーターが設置されたが、最初は登り専門だったので、足の悪い人は、下りにエスカレーターがほしいんだけど、と嘆いていたことがある。
だから当初は「登りはよいしょよいしょと大変だからエスカレーターをつけてラクにしよう」という、健常者への配慮からの設置だった。

車椅子使用者が改札口で申請すると、このエスカレーターはその人が駅員付き添いで使用し終わるまでストップする。今はその必要がなくなった。なぜなら低い講内のど真ん中にエレベーターがでんと設置されたからだ。

つまり鎌倉駅は東西両方にそれぞれ一基、講内に一基(ホームに登るぶっといの)エレベーターが設置されたのだ。そしてただでさえ混雑の激しい休日や、新年、花見、海、紅葉などのシーズンに、観光客はごった返し、住民も行動が取りにくいのが悲惨に悪化した。講内のど真ん中のエレベーターがスペースをつぶす以前から、シーズン中は利用者で溢れていたというのに。その狭さ。使い勝手の悪さ。

また、かの駅はどちらの改札側から見ても、向こうの改札口が見通せる利点があり、向こうから光が射して明るかった。それがど真ん中のぶっといエレベーターによってみごとに遮断されてしまったのだ。その景観の悪さ。鎌倉駅の特徴がつぶされてしまった。市民のささやかな喜びだった「両方見通せる特徴」が、相談もなく消されてしまったのだ。

ほかにスペースがなかったのか。あったのだ。東改札口を入って右側に通路があり、そこからホームにエレベーターを設置するスペースがあった。野遊はてっきりそこに設置されるものと思っていた。が、最も目立つ場所に、これ見よがしにエレベーターが出現したときはぎょっとしたものだ。

第一、何で東西両方にエレベーターを設置しなければならないのだろう。駅の外側はスローブで通り抜ける広い道がついている。これが横浜などの大きな駅なら通り抜けるのに時間がかかるだろうが。

東口から入り、低い講内に降りずに右の通路からエレベーターに乗ってホームに出るように設計すればよかったんだ!

そうすれば今の三基のエレベーターでなく、東通路にどっかりエレベーターがあるだけで、円満解決したはずだ。景観も損ねずにすむし、車椅子の人だって行ける。

もし、どちらの改札口からも自由に出入りできるように、健常者と同じように行き来できるようにという観点からこういう設置に至りましたということなら、それは障がい者側(に立った人たち)の傲慢である。

歩み寄るべきだ。どこもかしこも歩きやすくなるように、それに税金をかけるのは賛成するけど、自分側にとって一番いいことだけを考えて、ほかの面を無視する行為は情けない。鎌倉駅もどういうつもりであんなごっちゃごちゃの設計を組んでしまったのだろう。あの駅の歴史への誇りも愛情もなかったのだろうか。

決められたスペースでバリアフリーにしていくのだから、双方歩み寄らなければ、健常者が我慢するばっかりになっていく。それでもすたこら歩ける身は、声を大にして主張できないんだ。(野遊、きっと叩かれるね・・・)