ミヤマキリシマ山行(1)花の滝の中で

靄が動く。眼下の景色が、うっすらと見えてくる。それは色のついたガスが移動しているような、不思議な光景だった。色は、ガスの向こうに浮きあがる無数の花だった。「ミヤマキリシマ」。

ヤマキリシマは、つつじに似た花で、野遊は思わず「つつじ」と呼んでしまう。が、花も葉もつつじよりもなお小ぶりで、その先端は切れがいい。色合いはアジサイの深みを濃くしたようなピンク色で、気温によってだろうか、ところどころ、白みを帯びたもの、赤みを帯びたものなどもあるが、ほとんどが同じ、鮮やかなる緋色である。美しいがそれよりも可愛いという表現がぴったりの緋色である。

緋色の滝を流したような山肌は、足元から見渡す限りの山肌へとどこまでも続いている。花の下は、それを支える細い木、細い枝がからまり、上から見ればマンマルと、こんもりと、ぎっしりと咲いた、野生のミヤマキリシマの花盛りだ。

雨が降っていた。たしかに降っていた。けれど野遊の記憶の中に、雨の感覚はない。動くガスの合間に見え隠れするミヤマキリシマの愛らしさに、息を呑むばかりだ。グレーの混じったホワイトの、動くガス越しに濃いピンクの花の姿、その葉の緑、ちらほらと合間を埋めるのは黒い岩、土。なんという色合いのコントラストであることか。

夏ながら、降り続く雨は立ち止まっていれば体温を奪い、手先が冷たい。がくがく震えがくる。「・・・雨だったか」と、改めて気づく。が、それが故のこの光景の幽妙さ。

野遊はここへ来た。2010年6月13日、昨夏から約1年、ずっと思い描き続けてきた九重連峰。ここはミヤマキリシマにくるまれた平治岳の突起。

夏山シーズン、咲き乱れる高山植物に先がけて、日本のこの場所にだけ、神がミヤマキリシマの恵みを贈ったのには、きっとなにか「神様事情」があったに違いなく、得体の知れぬ不思議さに包まれたまま、野遊は九重連峰を想い、九州という地を想った。(2)へ続く。