ミヤマキリシマ山行(18)連泊の法華院山荘 三俣蓮華での登山者に再会

別れというのはもの悲しいものだな。旅行や登山は、途中で別れるよりも、途中から合流するほうがいいかも。なんてぼんやり考えながら、一人個室で休んだ。乾燥室に衣服をつるし、温泉に入ってから夕食。スタッフに渡されたお盆を持って、どこに座ろうかしらと突っ立っていると、「こっち、こっち」と、見知らぬご夫婦が声をかけてくださった。

同じテーブルにつかせていただき、食事をはじめると、ご夫婦がにこやかに話しかけてきてくださった。沖縄からいらしたそうだ。沖縄は一度行ったことあり。景色の話などしていたが、やがて自動的に、沖縄問題(米軍基地について)が話題に持ちあがり、(もしかしたらこの方々は、本土?の者たちに話しかけたいことがらがあったのかもしれない)、ご夫婦、一生懸命訴える。野遊も一生懸命聞く。

話はさかのぼり、40年前、沖縄が「沖縄県」として日本に迎え入れられた日の話になり、「自分たちは決して無条件に喜んでいたわけではないんです。沖縄は沖縄なんです。その気持は日本人には理解しきれないと思います」と。(日本人にはという表現・・・?)

えっ、そうなの。本土復帰じゃなかったの、沖縄は元々日本でしょ、と野遊は思ったが。だってバルチック艦隊が沖縄を通り過ぎたとき、命の危険を犯して本土に知らせに海を走った沖縄の漁師がいたではないか。「このこと、言うなよ」と役人に言われ、家族にさえも明かさず、一生を終えた男。何十年後の彼の死後、日本からご褒美が出た(遅いよ。なんなんだろね日本って)。家族ははじめて「それを知った」。この実話をなんとする。彼こそ日本人でなくてなんとする。

このご夫婦はこの実話をご存知なのだろうか。しかしご夫婦は表情を固くして沖縄人の理解されざる悲しみを吐露し続けていた。う〜む、改めて学びました。勉強会のような夕食でした^_^;

今日は宿泊客が少ないらしく、夕食も2度になっていなかった。そしてこのあとコンサートがあるそうだ。ギターの若者がスタンバイしていた。そういえば昨年の大日小屋(北ア)でも、夕食後コンサートがあった。あのときは楽しい仲間たちとのハイキング的登山でもあり、コンサートに参加したが、どういうわけか落ち着かなかった。今回は明日から単独だし緊張していたので参加しなかった。沖縄ご夫婦が、まだお話したそうな目で、部屋を出ていく野遊を見ていたのが気にかかったが(>_<)

野遊は乾燥室から乾いたものを持ち出して整理し、地図を眺めているうちにコンサートは終わって、隣の部屋などにがやがや人が戻ってきた。坊ガツル恋歌は歌ったかしら、それは聴きたかったなと思った。でも、旅行ではない登山で、野遊はそれ以外のことを楽しむ心の余裕がないのだった。登山の神様って、嫉妬の神様なのだと思う。

もしもしと呼び止められる。乾燥室を出たときに。見知らぬご婦人が微笑んでいる。
「昨年の7月、三俣蓮華にいらっしゃいましたね?」
「はい」
「覚えています。私はツアーで、女性一人とは、と、あの折、ちょっとお話しましたね。鎌倉からいらしたとか。今年は九州でとは、奇遇ですね」
驚いた。そして、よくまあ覚えていてくださったものだと感激した。そして、ツアーってのはどこへでも行くのだなすごいなとも思った。そうだともきっと!長い年月の中でも、わたしたち登山者は、このようにして、気づかなくとも思わぬところで再会しているのだろう!

外は雨。今日こそまとめて寝るぞと思っているのに眠れず、夜中に何度か温泉に通っては布団にもぐりこんだ。しらしらと空が明けるころ、眠りにつけた。