野遊・東日本震災3 「輪番停電」

輪番停電」なんて言葉、戦争時代みたい。ちょっと団結気分。いやいや、ダサイよ!なに今どき。あまり使用しなかった言葉なので、新しい表現がなかったんだな。
日に二度、停電がある日。朝と夕方。夕方は突然決まる。

節電を心がけテレビはニュースだけ、それも深夜だけにしているので、野遊が把握し切れていないこともあるかもだけど。

昼間停電、野遊はオフ・ディ、外が明るいので不安はなかったものの、電気一切が使えないとは、つまり何もできないほど不便なものだ。第一、仕事がPCに向かってモノを書くことなので。

昼間の停電を終え、今日はもういいだろうと思ったら、夕方からまた停電。日に6時間だ。鎌倉はやっぱり田舎なんだな、で、ちょっとばかり時間帯を増やしてもよかろうと思われているのかな。同じ「00グループ」となっていても、停電しない区域もある。一度も経験していないと言う友人もいるし。東電も必死なんだから、こちらも神妙に受け止めているが。

しかし困った。オール電化の弱みだ。空腹で帰宅した夫は今から3時間を待てず、暗い中で冷たい食事。

ご飯と主菜ができてない。サラダとお漬物しか用意していない。どうしようか、法事のお返しにもらったシーチキンの缶詰を思い出し、あけてスライスタマネギを敷き、ポン酢とマヨネーズで。夫はシーチキンが好きじゃないのだ(だから残っていたのだ)。でも我慢して食べ、「お、意外とおいしいよ、食べる?」なんて言っている。けっこうだす野遊もシーチキン苦手なんで(^.^)

冷たい物ばかりなのに夫は、わざわざビールを飲んで震えている(・・?
せめて熱いお茶でも入れてあげようと、野遊はラジウス(登山用品)に点火した。コッヘルに水を入れて沸かすと、夫は、「それならカップラーメンがいい」と言う。戸棚を探すとカップラーメンが一つあった。「いいね!」と、夫は嬉しそう。「でも、取っておいたほうがいいかな?」とか言っている。そう言いながら開けている。

野遊のラジウスは単独山行使用。小さいコップにお茶くらいならと思って点火したのだが、カップラーメンとは・・・結局3度に分けてお湯を注いだ。どんな味のカップラーメンだっただろうか、ごめんね。

学校給食はストップし、お弁当、と急に言われても食材がない。おにぎりなら可能。被災地を思えばありがたい。


ルネが、テーブルの上のろうそくを見て、目を丸くしている。ラジウスは音がするし、いかにも興味深げ。ロウソクって明るいものだニャ。懐中電灯より温かいし。野遊はヘッドライト。

21時、電気がついてから、生煮えのお米を炊きなおし、野遊はもう主采を作らずに夕食、そのマズイご飯でおにぎり、ごめんね〜(T_T)/明日の朝は早朝停電だそうで、深夜に作る。ますますマズイだろう(T_T)

そんなとき、予告された停電がないこともある。だったらこうしたのに、ああしたのにと思う。買いだめしていない野遊の生活は今、ほとんど被災者的だ。でも被災者がたを思って耐えよう。

関西電力と合致させるわけにはいかないのだろうか。西や南の人たちと痛み分けしたい。それは東海道線のレールに新幹線を走らせろと言っているようなものかな。でもワープロのフロッピーを、一度にはムリでも1枚ずつdos変換してPCに組み込むことができるのだから。という感じで一部は可能のようだけど。
どらえもんの「電流合致器」がほしい。そんなのあったかな?

ただ、もっと計画的に停電を予告してほしい。貯蓄ができずに流動的な電気、仕方ないことながら、辺鄙地域集中攻撃のような今のやり方が、これからも続くのはどうか。計画が立てられず生活が立ちゆかない。

個人の家庭でこうなのだから、会社とかどうなのだろう。