はるかなる連弾  夏のはじめ、ハチの夢

しっかりしたドラマになっていたのだけど、夢とはなんとはるかなるものか、忘れてしまった。目がさめて、このストーリーを反芻できたし、メロディーまで口ずさめたのに、そのあともう一睡したら忘れている。

ともかくも記憶にあるところだけでも書きとめておこうと机に向かったら、何やらしっかり詰まっていたはずの記憶が、すうっとかき消えてしまった。なんなのこれ。

村田邦夫先生がなくなられたのは二〇〇七年6月、4年前だ。4年前の今ごろ、お見舞いに行った野遊7に先生は、ひとこと、ふたこと、お話になった。あんまりあの日のことを思い続けていると、あれは夢だったのか現実だったのかと不思議な気持になってくるほどだ。

今朝の夢の中の村田先生は、野遊が最後にお会いしたときのように、白髪だった。先生は、どこかから週に1回の講義を要請され、おこなうことになった。
何の講義か思い出せない。古典ではある。

毎週1時間くらいの講義だが、回を重ねるごとに、先生の髪が、元のように黒々となっていった。先生は1時間の講義にその何倍もの時間をかけて研究されるから、きっと、毎日すごく勉強され、心にも張りができたのかしらと思う。
よく見ると、先生のこけた頬も、いつのまにかふっくりとしていた。
先生はどんな講義も、決しておろそかにされないので、ただこの講義のためだけに、こんなに生き返るほど精進されているのだなと思った。

先生は朗々とした美しい声で、歌を歌われた。それがなんと、***だった。***は、曲名なのだが、それを野遊は思い出せない。なんと、と書いたのは、古典とは関係ないような、ヨーロッパの作曲家によるクラシック・メロディーだったからだ。野遊も知っている曲だったし、目覚めてからベッドの中で口ずさんだので、ここにその曲名を書けると思っていたのだが、思い出せなくなっている。

もしかしたら、目覚めて口ずさんだのも、夢だったのかもしれない。

こんなことしか覚えていないなんて・・・ちゃんと思い出したいのに。ちゃんと思い出してどうしたいというのだろう。それもわからないけれど。

ただ、ラストのほうに、不思議なことがあった。村田邦夫先生の黒髪が、だんだん伸びていったのだ。きれいなおかっばになっていき、横も伸びている。あれ、ハチったらこうではなかったよねと思っていたら、さらに伸びていって、長髪になっていき、その肩に流れた。まるで平安時代十二単衣お姫さまのように黒髪が流れていた。


*********2007年9月記す

歌集『遙かなる鈴鹿』 村田邦夫

新秋を待ち望む歌ならびに短歌

朱儒ありき 歌ひにけらく 「八月の 夏の炎の消えのこる 九月は灰」と
さあれ その 灰冷えぬ間に 乳香と 没薬注ぎ 想ひの火 輝かしめば
不死鳥の姿現じて よみがへる 生命のままに 蒼穹へ 羽根搏ち翔ばむ
言ふなかれ 「九月は灰」と 九月こそ 目にもさやかに 新涼の
いぶきさやらと 新詩成るとき
反歌
竹煮草いまだ稚き茎立ちの花こまごまと揺りて風あり

野遊訳・おばかさんは、九月は夏の燃えカスだとか言うけれど、ちょっと視点を変えれば、九月って新しい命の燃え上がる時期だよ。と言っている。「目にもさやかに」という表現に注目。思い浮かんだ短歌がある。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる
藤原敏行の歌。この歌を意識して歌っているのではないだろうか。詠み人にお聞きしておきたかった。今さら知るすべもない。

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後日書き足す・2020年(令和2年)3月
ハチの夢を見た。ハチは湘南学園のままのハチだった。ハチは野遊とまるで同等か親戚みたいな親しい仲だった。ハチと一緒にものすごく近寄っていろいろな所作を為していた。シーンシーンは濃やかで細かかったけれどもう覚えていない。温かく慕わしい夢だった。そのぬくもりが今もここにある。