野遊の12月  3 「それぞれの勝手」

野遊の二人の姉の夫たち。長兄は登山ブームの年代を、会社の山岳部の部長を勤めた人だが、場所柄活動中心が北アだったようだ。この義兄に連れて行ってもらったことも何度かあるが、野遊が持ちあげられないほどの重いザックを難なく担いで、その足取りの軽やかさに驚いたことがある。今は退職して、山もほぼ引退している。

野遊の二番目の姉の夫は、やはり街の山岳会の会長をずっと勤めていて、主に岩壁だった。海外登山の体験もある。静かな人で、野遊の大好きな義兄だったのだが、わずか数年前、定年退職寸前で癌を患ってなくなってしまった。

野遊の弟は中学時代から山岳部で、野遊は弟の登山シャツをもらったことがある。何しろ弟のシャツときたら(母が買うので)高級で、縫い目の果てまでしっかりしていて、弟が成長して大きくなって着られなくなったので野遊がもらった。かっこいい赤いシャツ、今でも持っている。

弟は大学時代は山岳部ではなかったようだが、野遊とは聖〜光を歩いたことがある。弟とゴスケとは西穂〜槍。その後も弟は友達なんかと行っていたようで、南ア千塩をソロで歩いたことがあるとかで「ふうん・・・」と思った。北ア下の廊下を友達と行ったとかで、「ふうん・・」(野遊は行っていない)と思った。

ゴスケも強い。胸突き八丁の赤石尾根から三伏〜塩見〜北岳〜と、すごい速度で駆け抜けたことがある。これは野遊も一緒だった(野遊も強かった)。

野遊の姉たちはこの夫たちの仲間と、丹沢や北アを歩いている。

野遊は5人きょうだいで、姉が二人、妹、弟がいるのだが、妹は姉妹の中で最もしおらしい可愛らしいタイプで、およそ山とは無縁の感じながら、妹の夫が、これまたすごい山屋で、ソロで、一体どこの山に行っていたのだろう、あまり語らないが相当歩いていたようだ。(今はたまに仕事の合間、丹沢を歩くくらいだとか)この義弟は関東人ばかりの親戚の中で唯一東北出身。けれど彼が妹を連れて行ったのは東北の山でなく、北アの焼岳、西穂(ロープウェイ使用)とかだそうだ。そして山での食事は天ぷらだったとか。油を背負って行ったのか。時々聞くけど、それだけで野遊なんか「すごいなぁ」と思ってしまう。

で、皆さん、北ア、少しだけ南ア、が中心なんですよね、やっぱり住んでいる場所柄か。そして今でも山を歩くのは二番目の姉くらいだ。なき夫の遺した山岳会に誘われて、時々歩いているようだ。

この二番目の姉、昨年は初めて奥穂に登った。横尾からザイテングラードの往復登山で、彼女の娘(二人)も初心者登山。義兄の愛した穂高に、ちょっとだけ散骨したとか。

野遊はおせっかいにも「ろくに歩けない人たちが列を為してザイテングラードからとは言え、穂高を登るのはどんなものだろう。落石とか、速度についても、他者に迷惑をかけるだろう」と思ったものだが、彼らは立派に登ったようだ。

野遊の親族(姉妹)、みんな山が大好きなのだ。だからだれも野遊に「山をやめなさい」とは言わないのだ。・・・で、(彼女たちの知らない)単独行はやめなさいと言う。