ヒマラヤ山行(34)ラりグラス咲くルクラ

2014年4月1日
赤いラりグラス(シャクナゲ)咲くルクラはまだ寒く、ダウンを着こんでいるクライアントもいる。重量制限があり、個人が身につけていればそれは重量には入らない、ということで、往きは相当着込んだクライアントもいたが、帰りなのだから荷は軽くなっている。計りにかけられても、それほど気にならない。途中、ナムチェバザールなどで重いものを買った場合は別だけど。

猫の額ほどの滑走路というのだろうか、素人目からも怖げな狭い飛行場を窓から眺めながら飛行機の来るのをさんざん待った。こういうときは「早く来ないかなあ」と思わずに、待つために待てばいいのだ。

野遊は立ったままじっと、窓から見える黄土色の道を見つめていた。あの道は、宿泊したロッジの窓からも見えた道だ。トレッキング・ロードではないその道の行先は喫茶店売店のようだ。昨日、いつまでもいつまでもロッジの自分の部屋の窓から眺めていた道だ。野遊は、このルクラのロッジといい、キャンジュマ、ゴーキョのロッジといい、窓から外が見えるところは外を眺めてばかりいた。

その黄土色の道はゾッキョも通っていた。買い物タッチでその道を歩く人々が、山行中のトレッカーと同じように、ゾッキョに道を譲っていた。昨日と同じ光景を見るのがうれしかった。我がツアー仲間のクライアントがたも、シェルパがたも、二人連れ、または一人で、ブラブラとその道を歩いている姿を思い出し、昨日その道に見た人を、今、ここで再び見ることができたなら!と、まさかなのに「その人」を目で探した。

「過ぎゆく」というタイトルを背負ったBGMが、立ったまま窓外を眺めつづける野遊の全身に、静かなシャワーのように降り注いでいた。開け放たれた窓からもろに風を浴び、着陸したカトマンドゥでは暑いのだからと着込まなかった野遊には、ピシピシと音を立てるような寒さが食い込んだ。恋しく痛い冷気だった。

それでもいつかは時が来る。カトマンドゥ行きの自由席の小型飛行機に乗り込む時がやってきた。往きにヒマラヤの見える側に座ったクライアントは、そうでなかったクライアントと交代した。

野遊はヒマラヤとは反対側の後方に座って窓外を眺めた。真下に広がる山々を。往きもこの光景を不思議な思いで眺めたものだが、トレッキングを終えて再び眺めると、ことさら感慨深かった。陰と日向の模様を織りなしながらうねうねとどこまでも広がる山肌の、とこどころに固まって白く光る家々の屋根。あそこにも、ここにも、あんなところにもへばりつくように集落があるのだ。飛行場からあそこまで、いったいどういう道をどのくらい歩いて辿り着くのか。道は、糸を引くように張り巡らされてある。

夢中で見つめていたが、飛行機が揺れて、ふと我に返って顔をあげると、反対側の座席のクライアントがたが皆、無言でヒマラヤの山々を眺めている姿が目に映った。それが何となくではなく、結構真剣な感じで見つめている。皆さんもきっと、それぞれの感慨を噛みしめているのだろう。