ヒマラヤポカラトレッキング47「カパンへ」

フ5/13(月)  Thamel Taxi で Kapanへ。

フジホテルの朝食は階下の庭付きレストランでバイキング。

おいしいパンです。ロッジのパンはバサバサしていて味もそっけもない。タメルのパン屋さんで買うパンも、おしなべてまずい。

タマゴ、ハムやサラダなど一通りのお料理が並んでいて、いかにもボリューミィだった。牛乳とコーヒーを飲んで、まったり過ごした。

それから荷づくりして、タクシーでカパンに出発。スタッフに空港までですかと聞かれたので、カパンに行くと答えたら、タクシーを呼んでくれてた。宿泊代は先に言われた5000Rsだったが、タクシー代はホテルの料金に含まれているのか、いらなかった。空港にもタクシーで迎えてくれるようだ。

カパンへの道は、デコボコガタガタの連続。シュレスに言われたとおりに途中で連絡を入れ、まあ30分くらいかかったが無事に着いた。ここでお金を支払わないで下車していいのだろうか。。。と思ったが、運転手さんはてきぱきと野遊の荷を下ろして、さっと走り去った。ポカラで野遊の靴とアイゼンを持って行ってしまった運転手さんとはずいぶんな違いだ。

シュレスは道に出て待っていてくれた。

トレッキングの終わりにカパンを訪問するのは、これで3回目だ。

最初のヒマトレは西遊旅行に参加して往き帰りは首都カトマンドゥで宿泊。

2度目からは個人トレック、同行シュレスの故郷デウサ経由でルクラLukula2840、チュクンリ、カラパタール、パイヤーPaiya(Chutok)2730mーからバスで戻り、カパンに行った。シュレスのおばさんのルビの家に泊まった。

3度目はソロトレック、ネパール大地震に遭遇しながらチュクンリ、トークラ、ルクラから飛行機でカトマンドゥに戻り、スバスのバイクに相乗りしてカパンに行った。カパンも地震の被害を大きく受けていて、みんな広場のテントに寝泊まりしていた。

4度目はチーちゃんと二人トレックで、ポーターはサントスだったのでシュレスに会わなかった。シュレスはドーハに出稼ぎに行っていた。

5度目が今回で、またカパンに。だからカパンはこれで3度目ということになる。

カパンは首都圏内の郊外にある静かな田舎町だ。パタンやタメルに住むよりずっと不便ながら、ヒマラヤ山麓に住む人々が、シェルパ業やロッジ経営などで稼いで貯めた資金でお江戸に登ってきて、東京の渋谷や新宿ではなく江戸川区のはずれとかに住むようなものだ。

シュレスの両親は山麓のデウサに住んでいるままだ。彼らより貧しいのだった。なのでカパンのシュレスの従兄たちは大学に行っているけど、シュレスは高校を中退して、シェルパ業についている。