ヒマラヤ山行 終章(37) ソロ

一度この目でヒマラヤを見たいという願いがかなったすぐあとに、再びここに来たいという気持になるとは驚きだった。人って〜人って〜いったい〜・・・

初めてのときは右も左も平面上でしかわからなかったが、こうして一度、この身をかの地に置いたのだから、次からは当然「ソロで行く」。

ガイドとポーターを雇ってトレッキングするというノーマル・スタイルもある。女性ひとりの場合は、特に野遊みたいに強くない輩は、考慮が必要だ。国内またはカトマンドゥの旅行会社に依頼すれば、それこそ出発から最終日まですべて手配してくれる。でもそれではつまらない。安全ながら独創性もなく無駄の多いツアーと変わらない。野遊はひとりで歩きたい。ソロだとしてもガイドが先立つのはイヤだ。
ガイドよりもポーターにいてほしいと思う。長旅に荷の重さが大変だし、女性ひとりは物騒だと聞いた。現地民を雇うのはネパール政府も望んでいる。

3月は寒さに閉口したので、次は許される範囲内の最も寒くない日々を選択しようと思うが、それは登山者もトレッカーも最も大勢街道にあふれ、ゾッキョもせっせと繰り出される時期と重なり混雑する。ロッジは満杯で宿泊困難なこともあるとか。ポーターには先に行ってもらって、早い時間にロッジに到着して宿泊手続きをしてもらおうと。(ヒマラヤロッジは予約禁止、宿泊には食事を注文するのがお約束事)

自分の体調に合わせて押したり引いたり臨機応変に歩いて行きたい。タンボチェでは、加藤保男さんのモニュメントに手を合わせ。調子悪かったらここまででもいい。行けたら次はチュクンに寄るでしょ。もっと行けたらゴラクシェプからEBCを優先。その次がカラパタールの順。BCも、今は何もなくともオールドキャンプを優先。と、こういう好みが自在に入れられるからソロは魅力的だ。

「ルクラ〜ナムチェ〜ゴーキョのコース」「エヴェレスト街道」以外のコースは、野遊にはガイドが必要だ。迷ったり、くたばるかもしれない。よくよく検討していこうと思う。
チョラパスまで手が届く日は来ないままかもね。それにしても今となるとレンジョパスは遠いなあ!
できるものならいつかきっと、あの美しい岩峰群を再び、もっと近くで、この目で見たい。

食べ物についても学ぶところが多かった。元気な今だから「こうすればいい」とか思っても、そのときになったらほんとうにどうしようもなく、それを踏まえて考えていかねば。
ツアーだと朝昼夕とお料理が、食べる食べないに関わらずセットで「与えらる」。あの不快感から解放されはしても、個人でロッジのものを注文して、運悪く食中毒を起こしてしまう例もある。これもよくよく検討しなくては。

今、野遊の手指10本の爪を横切って一文字の、白い線が走っている。最近出てきた。これは約2ヶ月と少し前(70日前)、野遊がナムチェから高度をあげながらトレッキングしていたときのものだ。
酸素は薄く食欲がない中で暮らした正味1週間。その前後のトレッキングも、普段と違う環境で1週間。それがこうして爪に現れるとは。爪は体の状態がそのまま映されるというけれど、あんまり本当なのでちょっと心打たれた。そして改めて、あのとき野遊の体は苦悶していたのだなと思う。

旅は、最初に目的としたものを得て帰れれば成功なのだが、思わぬ発見があったり、新たな知識が加わったり、そしてそれらに興味を抱いたりしていく醍醐味もある。

ヒマラヤを見た。すごい喜びだ。翼よあれがヒマラヤだ
ゾッキョを見た。すごい驚きだ。あれが産業糞道、トレックロードだ。
一大世界に点在する村々を見た。そこで暮らす人々と動物たちを。
観光地に遠い村落にも思いを馳せることができるようになった。
砂埃と喧騒の首都カトマンドゥも垣間見た。

そしてこれら「思わぬもの」を得たラストの光景が、帰路カトマンドゥの空港で、ネパール人の出稼ぎ風景を目の当たりにしたことだ。
ということで、これでこの「ヒマラヤ山行」は終りなのだけど、もう少し先まで「番外編」が続いてしまうのです。



             *次回は番外編(38)ネパールを思うⅠ「出稼ぎ」*