流氷旅行 4 シュレスごめんね

ryo-rya2016-03-10

ネパールのシュレスからしきりに電話が入る。彼は叔母の家のカトマンドゥに滞在しているときはEメールが使えるが、実家デウサにいるときは電話だけ。なぜならデウサはヒマラヤ山麓の南南東の、電気が通っていないような小さな村なのだ。

シュレス「春はポカラだよね?いつネパールに来るの?」
野遊「足が病気で、春のトレッキングができなくなったの」
シュレス「では4月なら来られる?」
野遊「4月も治らないと思う」
シュレス「5月なら来られる?」
野遊「シュレスごめん。夏までトレッキングできないの」

夏までと言ったのは、野遊の希望だ。秋にはどうでも治りたい。だって野遊は昨年の夏、ちーちゃんと、秋のヒマラヤトレッキングの約束を交わしているのだもの!彼女は勤務先に休職届を出してしまっているから!野遊は、次のヒマラヤは、伝統の長丁場道、ジリから歩き始めようというスケジュールを立てていた。

そしてこの春はシュレスをお伴に、ポカラを歩こうと計画していた。サーキットコースと内院コースを25日で踏破するつもりだった。

シュレスに足のことを伝えるのは心苦しいが、1月の時点で、春のトレッキングは無理だと思い、何度もメールを入れていたのだが、トレッキングの仕事が入ってこないシュレスはデウサに戻って、両親と暮らしているので、わからなかったようだ。

シュレスは、野遊からのトレッキングがなければ、春のシーズンは自由に仕事が入ってくるのを受けることができるのだから、早めに知らせておかねばならない。でも、春と秋はきっと、野遊が健康なうちは、シュレスに長い仕事をさせてあげるからねと約束したので、野遊はとても切ない。

いくらトレッキングの仕事がシュレスに入ったとしても、せいぜいツアーに同伴する2週間前後であって、次の仕事までの間が開いてしまう。せっかくのシーズンを、4分の一くらいしか働けないのだ。あとは首都やおうちでブラブラと過ごすだけ。図書館もない。読書もしない。

野遊と組めば1ヶ月ずっと仕事状態になるので、日当は低くてもに日数的に断然有利なのだ。しかも仲介者がいないので全額直に手に入る。
シュレスごめんね…(写真はシュレス・ライ21歳)