シュレスの夏 29 学費をプレゼントする

シュレスはネパールに帰ったら、マレーシアに出稼ぎに行くと言ったり、トレッキングガイドになると言ったり、自分でも決めかねているようだった。トレッキングは、いい収入になるので、シーズンオフ(6月〜9月)はほかの仕事もなく無収入で暮らすとしても、シーズン中に間断なく仕事が入っていれば、無収入の期間も困らずに暮らせる。けれどまだ若いしガイドライセンスも持っていないシュレスには、仕事もなかなか取れないのだった。

日本語を習得すれば、特徴ができるから、もっとオーダーがくるだろう。そしてガイドライセンスも取得して、自分に合ったこの道で暮らしを立ててほしいと野遊は願うのだが、それ以上の押しつけはできない。

けれども日本語が少しわかってきてからのシュレスは、これでトレッキングが増えるかもしれないという希望が持てるようになったようで、もっと勉強すると言いだした。マレーシアに行かないで勉強すると。

野遊はシュレスに、日本語学校に行く学費を封筒に入れてプレゼントした。ほかのことに使っちゃダメよ、きっと学校に行ってねと。

野遊は、来年再びトレッキングするつもりだったが、最も近いシーズンの、来たる10月と切り替え、シュレスをオーダーした。期間は1ヶ月。これなら昨年のシュレスの収入を上まわる。

シュレスは姉、兄、妹、弟の5人兄弟だった。お姉さんはシンガポールに出稼ぎに行って、弟妹の学費を仕送った。シュレスが17歳のとき、姉は病を得て入院し、シュレスは高校を中退してトレッキングの仕事を始めた。そしてシュレスが19歳の冬、姉は29歳の若さでなくなってしまった。ほんの9か月前のことだ。

シュレスの家族は治療費など45万Rsの借金を抱えた。シュレスの兄はマレーシアに出稼ぎに行き、毎月3万Rsを仕送って返済に充てているそうで、シュレスもそれに続くところだった。兄と共に借金を返済したいのだ。両親は最近体の具合がよくなくて、すぐに病むそうで、病んだらまたお金がかかるのだ。物価の安いネパールだが、治療費は高いのだ。

シュレスはすぐにお金のことを言う。お金が欲しいのだ。
ゴスケと3人で河口湖の遊覧船に乗ったときも、看板に明記されてある金額を見て、信じられないという感じで顔色が悪くなって、ちょっとふさぎ込んだものだ。
ボートなんかいいからその分お金が欲しいのだ。

我が家は、この3週間のシュレスに、往復の交通費も入れてどのくらいの出費であったことか。
そう、シュレスにしてみれば、日本に招待してくれなくてもいいからその費用が欲しいだろう。45万Rsの借金を返しても余りある。甲斐駒に行ったときも、時々シュレスがふさぎ込んだのは、このことが頭をよぎるからだろう。
けれどこれは貧富の差ではなく、国の物価の違いなのだから、どうしようもないことだ。

シュレスのこれらの事情は、彼の日本滞在中に少しずつ知っていったことだが、だからといって、野遊がシュレスに、ただでお金をあげるわけにはいかない。それは日本式に言うと「恵んであげる」ことになるので、やたらとそういう行為をすべきではない。日本人だったらむしろ失礼に当たる行為なのだ。
でもネパール人はそういう感覚はないようで、学費をあげるときも、野遊はかなり気遣ったが、シュレスは別に気にする風もなく、親にお小遣いをもらう子どものように振る舞っていた。
だから野遊はシュレスが怠け者にならないように、意味もなくお金をあげたりすまいと思った。