ネコたち日誌(17) 8月15日(土)  第16日目 真夏日

終戦記念日に野遊のドタネコ3匹の暮らしメモも一区切り。
今日は娘夫婦が来て、奈々子を引き取っていった。
これで奈々子がルネに挑発することもなくなり、少しさびしいけれどホッとした。
梅太とジロスケはしばらく残ることに。
部屋を掃除して、新たにネコとともに暮らす日を迎える。
真夏日もそろそろ終焉を迎えることだろう。

加賀の白山にでも行こうかな。

プー子は、新婚旅行に1週間スイスに行ったのだが、お決まりコースのアルプス見学で、それは表面だけながら、それなりに美しいものだっただろう。帰国して、日本の土着的空気に、落差を感じた面があったようだが、それはどの民族にもそれぞれの形で「ある」ものなので、一つの体験としてよかったのではないかと思う。

プー子はそういう形で体験したのだろう。

野遊はヨーロッパに行ったことは2回だが、帰国して電線がうざかったけど、ホッとしたものだ。道にうっかり小銭を落としても、自分でゆっくり拾うことができるし、たくさんばらまいてしまったとしても、おそらく周りの人たちが拾ってくれるだろう。
フランスのメトロの切符自販機で、うっかり小銭を落とした日本人が、後ろにいた人にさっと拾われて、「あ、どうも」と手を出したのが甘かった。拾った人は、「地面に落ちたものは、だれのものでもない」と言って、返してくれなかったそうだ。日本人は基本的に優しい。

野遊が日常生活に戻る際に感じるカルチャー・ショック的なものは、何日も芝居の公演を打った後と、登山の後である。この卑小な生活に戻ることへの「だるさ」を感じたものだ。わたしたちは、また「あの日常喜悲劇の真っただ中へ」戻る。という着古したコートを羽織りなおすような「くたびれた感慨」。

でもそこに身を浸していくうちに、いつの間にかまた、その色にまみれていく「悲しさ」「たくましさ」。そこにこそ人生の意義を見出せるのではないだろうか。

どの世界でも、それは同じことだと思うよ、この文を読んでくれるだろうか、影武者とプー子へ。
おみやげありがとう。