焼石岳 20 最終章 ありがとう

中沼は美しい。晴れていても、霧でも、雨が降っても美しい。雪もきっとよく似合うだろう。中沼に向かってファインダーをのぞく写真家さんの姿も美しい。野遊にとって「朝日連峰の写真家さん」は、いつのまにか「焼石岳の写真家さん」になっていた。

今、野遊の机上に、写真家さんが切った木の幹が飾られてある。これは中岳の木だ。

早朝下山したSさんは、お昼前にはもう職場にいるのだろう。
昨日直登コースを草刈機を持って下山していった越後屋さんは何をしているかな。あの草刈機は、越後屋さんのものだそうだが、岩手県焼石岳をどのように扱っているのだろうか。なんで最新の草刈機の2台や3台、買ってあげないのだろうか。県で草を刈ってもおかしくないのに民間にやってもらっているのだから。と、野遊は思うのだが、詳しい焼石事情は知りません。

中沼登山口からリーダーの車に乗車して林道を抜け、温泉に寄ってからランチして、一ノ関駅でお別れした。
いろいろ驚いたこと感動したことはあったが、ラストの驚きは、ちーちゃんと野遊からの御礼金を、リーダーが受け取らなかったことだ。御礼金はガイド(というかすべて)を取り仕切ってくれたリーダーにと、最初から用意してあったもので、それはもちろん食材などの実費も含まれている。それを全く受け取らないとはどうしよう。

加えて、これはあとからちーちゃんと相談したことだが、一緒に行動してくれた男性軍にもお礼がしたく、別の封筒に、「山小屋で過ごす彼らのお酒代」として包んだのだが、これもリーダーによって「門前払い」された。

写真家さんは「お金は払ってしまえばそれで終わりになる」「楽しかったらまた来ればいい」「その時の新幹線代にでもしたら」と。

それは、ありがとうですまされるような金額ではないのだった。ちーちゃん、どうしよう・・・するとちーちゃん「次は夏油温泉のほうに下ってみたいですね」あのねぇ〜:;(´-`;)

新幹線では写真家さんも仙台まで一緒。茨城さんは自車に乗り換えて帰路に。仙台から宇都宮まではちーちゃんと二人。そこでちーちゃん、「それで、結局どうなりましたか?本当に何もお支払いしないで来ちゃったんですか?(あなたまさかでしょ、という感じ)」(≧▽≦)

お金とは難しいものです。渡すとき、渡すほうが恥ずかしかったりする。充分な言い訳を添えないと、渡せない場合も多い。たとえば貧しいなどを理由に、ただでお金を渡すことは失礼にあたるし、受け取るほうも、傷ついたり怒ったりすることもある。お金でなくとも、たとえば空腹の武士が、他者からおにぎり1個を恵んでもらうことができない。(時代劇なんかによくあるシーン)
感謝の気持をお金で測る民族は多いけれど、日本はその点では世界的にも特殊だと思う。それこそ「日本の文化」なのだろう。

【野遊は今、年に1〜2回ヒマラヤに行っていて、滞在日数が長いと「生活状態」になり、そんな中で、現地の人々の感覚が日本人と全く違い、日本感覚で相手を尊重しようとすると、逆に相手を失望させたりしてしまう。尊重の度合いは現金の額だ。これにはなかなか慣れない。理解はできても、そこに美を感じない。少なくとも彼らを文化人とは思えない。野遊は日本人であってよかったと思う】

ありがとう焼石岳。さらっとさりげなく、ねちっとしつこい、オールバージョン勢揃いのチャーミングな山、焼石岳。水と風と紅葉に感動。沼と草原とゴロゴロ石に感動。木道に打ちつけられたすべり止めの木と、ごちそうの数々に感動。ラストの感動は、日本の文化を根底に秘めた、焼石グループ皆さんの美意識だった。   「焼石岳」了