秋のヒマラヤトレッキング53 夜のカトマンドゥに到着

バスの窓からは、美しい自然の風景が眺められて、ここを歩くのには、多分この道路ではなくて山道があるのだろう、もったいないことをしていると思った。でも、それはすべての道が別々なのではなく、この平らにされた泥グチャ道を、車たちと一緒に歩く時間も長そうだった。開発されてしまった以上、歩くのはかえってむなしいかもしれない。

美しい街も現れた。マリMali2220mという名の街で、地図にも大きく記されてある。
でもたいていはホコリと泥の、ペッチャンコな感じの街が続き、その最たるバッチイ街のような場所でバスは止まり、ランチタイム休憩となった。すごい排泄所に女性はずらっと並んで順番を待ち、手も洗わずに、1か所だけのレストランに入り、ダルバートを食べる。
もちろん各自で支払うのだが、ここにはダルバートしかない。だから店に入ると勝手にダルバートが運ばれてきて、その場で支払うのだ。それも素晴らしくまずい、汚いダルバートで、一口食べたらもう食べられない。まるでバケツにぶちまけた残飯みたいなダルバートだった。サントスは手で精力的に食べていたが。
チーチャは具合を悪くしたり回復したりを自分の中で繰り返していたようだが、よく克服してダルバートを食べていた。
これが最高観光バスとは思えないので、きっと現地民の使用する路線バスだろうと、ようやく思った。
不潔感にやられっぱなしで、何も思うまい考えまい、ただ時の過ぎるのを待とうと再びバスに乗車した。

外は少しずつ暗くなっていき、道路は次第にガタガタしなくなり、アスファルトになっていき、まだかまだ着かないか、夜の20時過ぎ、やっとカトマンドゥに到着した。
健康的でない重労働だった。
もう今後は、バスはやめよう。
以前もそう思ったのだが、時が経つともう一度頑張ってみようかとか思ってしまうのだ。赤ちゃんを出産した人が、もうこりごりだと思うのに、時が経つと、また赤ちゃんを産む気になるのと似ている。
こんなにクソミソに「汚くて!」と書いているのに、心の奥で、もっと違うじんわりした感情が、胞子が伸びていくように育っていき、フワフワふんわりと舞いあがっていくのだ。嫌、と裏腹に、ほかの面に向かっての好感度が成長していく。こういうのを魅力のとりこになるというのだろうか。