恩師村田邦夫先生 10 はるかなる連弾「佐佐木信綱記念館」

K氏にRさんを紹介して、青い車に乗り、佐佐木信綱記念館に行く。もう何度ここに来たことだろう。最近では昨年2010年11月、佐佐木信綱の故郷を訪ねるテーマの講演に、K氏と打ち合わせて訪問している。

記念館の学芸員さんは、今回も丁寧に展示品の説明をしてくださった。初めて行ったRさんは熱心に聴いていた。展示品はいつも同じではなく、少しずつ模様替えがあって、もう数回聴いてきたものだが野遊も興味深く拝聴した。

館長も学芸員も、Rさんが村田先生の教え子で、先生を慕って訪館したことをご存じなので、記念館と村田先生のつながりなども説明してくださる心遣いがありがたかった。

館長が信綱の旧邸を案内してくださった。信綱が子供時代を過ごした家であり、他者の手に渡っていたものを鈴鹿市が買い取って保存したものだ。『卯の花』の音楽が流れ(見学者のために流してくださるのだ)、「いつもの説明」を聴かせていただいた。何度拝聴しても心が静まる。

しかし実は、これらの説明を受けるたびに野遊は思うのだが、最初はしばらく放っておいていただきたいなと。ひと通りまわってから、説明していただけたらありがたいのだがと。野遊は、わざと昼休みを狙って訪館したことがあり、学芸員がすぐに出てきてくださったとき、「お昼休みに申し訳ありません。敢えてこの時間帯に参りました。1時まで勝手にしておりますので、どうぞお心遣いなきように」と言ったのだが、学芸員は(多分昼休みをずらして)熱心な説明をしてくださったことがある。ありがたいことではある・・・

野遊もRさんも、佐佐木信綱にさほど造詣があるわけではない。村田先生が晩年の渾身を込めていかれたこの記念館の展示品類と、さりげなく添えられてある説明文などから、先生の息吹を感じ取りたいのだった。それを行くが早いか、記念館サイドの主旨に引っ掻き回されるような困惑を感じる・・・