恩師村田邦夫先生 11 はるかなる連弾「大木神社」

K氏はRさんと野遊に、昭和25年信綱訪鈴の写真を、葉書大の焼き増しをしてプレゼントしてくださった。その数枚の中に、当時秘書として付き添った村田先生の姿もあったのだ!
これも、野遊は(実は)持っているものではあったが、K氏の思いやりを大変ありがたく思った。Rさんは初めて見たので感激していたようだ。

退館してから、バスにしようか、それとも河曲まで石薬師寺に寄りながら歩こうかなど思っていたのだが、K氏が車を出してくださった。まず記念館の隣の石薬師小学校の門の隣にある信綱文庫に立ち寄った。信綱文庫といっても、信綱の専門書が置かれてあるのではなく、種々雑多な書物と、児童書などが置かれている図書館だ。前回来館した折は、ぽかぽか温かい日差しが窓から差し込んでいたが、今日は曇り。ちょっと冷え冷えした感じだった。

以前もそうだったが、担当の職員さん以外はだれもいない。学校が引けてから小学生が寄るだろう。しかしあまり活気が感じられない。

ひと通り見学してから外に出て、隣の大木神社に寄った。K氏からいただいた先ほどの写真の中に、信綱の一行が大木神社を参拝するものがあり、場所が、今の状態と同じだった。ここは竹藪が美しい。ハチの歌にも大木神社を歌ったものがいくつかある。

【一ところ落ち葉朽ちゆく湿らひを聖水の井の跡と注連結ふ】
【ははきぐさ紅く素枯るる径尽きて篁越しのうぶすなの宮】

「ひとところ おちばくちゆくしめらいを せいすいのいのあととしめゆう」
「ははきぐさ あかくすがるるみちつきて たかむらごしのうぶすなのみや」

美しい音色の歌ではないか。

秘書として同行した村田先生は、信綱のそばにありながら、信綱とはまた違った感慨、感性を以って、大木神社を参詣したのだ。