恩師村田邦夫先生 13 はるかなる連弾「河曲の無人駅へ再び」

そこに立つと、まるでお決まりの儀式のように、野遊の胸には感慨が込みあがってくるのだ。

野遊には、ハチが、遠く伊吹の方を眺めあげる姿、ひつち田を眺めおろす姿、ベンチにぽつんと座っている姿が浮かぶ。

そのたびに何回も何回も、野遊はそこにいたかったと思った。

今はRさんと二人でここに立っている。何を話せばいいのだろう。

Rさんにも感慨があろう。けれどもこの駅についても、Rさんにはまるで五里霧中の感慨であろう。できたら示唆してあげたいが、どこから話していいものやら、野遊には言葉がうまく出てこない。

ただ、よぼじいの教え子であるRさんと共に、風に吹かれながらここに立って、電車の来るのを待とう。

【暖かき新幹線を乗りかへえて冬枯れわたる野の無人駅】
【伏流となる河砂の夕明り春たのめなく老いしぼむ眼に】
無人駅に来む単線を待てば久し稔りこそせね黄ばむひつち田】
【夕凍みの無人の駅に目をこらす伊吹の方は雪曇りせり】

河曲の駅で詠じた村田先生の歌の数々。
染み入るような悲しみは、伊吹の山に吸い込まれていき、見えない聞こえないエコーとなって野遊の胸の扉をたたく。

ひつち田は稔らない。けれど黄ばんでいく。いっちょ前に。ハチはそれを知りつつ伝える努力をし続けたのか?継承とはなんだろう。

信綱は「自分の継ぎ伝えてきたものが、時代の変遷とともに崩壊していくのなら、そのままにせよ」という主旨の言葉を残し、その言葉をハチは「百雷のごと」く、受け止めたのだったが・・・

ああどうして野遊はここまで来てしまったのだろう。
どうしてここまで生きてきてしまったのだろう。
どうしてあのときあのときあのとき・・・なにもしなかったのだ
物狂おしい自責の念に、またしても包まれる