2014-01-01から1年間の記事一覧

ヒマラヤ山行(49)番外編 スニーカーボーイⅣ「過ぎゆく」

遠い声のスニーカーボーイ、彼はロッジでは、我々が分厚い靴下を履いて寒がっているのに、なんと素足にゴム草履だ。午後の高所順応トレッキングでも、そのゴム草履だったことがある。雪と岩の登り道なのに。夜はどうやって眠るのだろう。あの個人装備のサイ…

ヒマラヤ山行(48)番外編 スニーカーボーイⅢ「あのときはしあわせではなかった」

遠い声のスニーカーボーイ、彼の役名はキッチン・ボーイだった。 朝は洗面器に、大して温かくもないわずかなお湯と、ものすごく不味い紅茶を持ってきてくれた。紅茶カップには最初からスプーンがさしてあり、これでお砂糖をかき回すらしいが、シュガーレスの…

ヒマラヤ山行(47)番外編 スニーカーボーイⅡ「あのときはしあわせだった」

やがて凍った道は終わり、広いきれいな道が開け、歌を歌いたいような気持の道になった。 歌おう!・・・そうだ、ゴダイゴの『ガンダーラ』。リフレインの箇所だけだけど。In Gandhara Gandhara They say it was in India Gandhara Gandhara the place of lig…

ヒマラヤ山行(46)番外編 スニーカーボーイ Ⅰ「あれが最初の出逢いだった」

夕方から雪が降った。夜中にやんだ。朝の道は凍結していた。下り道。滑る。つかまりどころのない道だった。見た目は同じアイスバーンでも、そっと置けば滑らないで通過できるか、置いてみなければ判断できない。そこに向かって足を繰り出すおぼつかなさは何…

ヒマラヤ山行(45)番外編 ネパールを思う 終章 

最後に。野遊は、この夏、ひとりのネパリを1ヶ月ほど日本に招待する。貧して他国に出稼ぎに行こうとしている彼を止めた。彼は夢を持っていた。日本語をしっかりマスターして、将来立派なサーダーになりたいという夢。今出稼ぎに行ったら、もう勉強する機会は…

ヒマラヤ山行(44)番外編 ネパールを思うⅦ 「物乞い」

街のそこここに座り込んでいる乞食。昔絵で見たような、本格的な乞食だ。歩きながら人にまとわりついて物乞いする乞食たちも多い。 若い美しい女性が片手を差し伸べ、片腕に裸の赤ちゃんを抱いて、哀しげな、物憂い目で見つめながら低い歌のような言葉を発し…

ヒマラヤ山行(43)番外編 ネパールを思うⅥ「泥棒」

カトマンドゥの観光地を歩いていたら、広場のようになっている道路の真ん中に、まるで護送車みたいな胴体の長い暗い車が止まっていた。うしろが開いている。警官が我々に「ちょっと寄って見ていくように」というそぶり。指示されるままに中を覗いたら、縦に2…

ヒマラヤ山行 (42)番外編 ネパールを思う Ⅴ「政治家たちって・・・」

ネパールに、良き為政者がいればと思うが、ネパールの政治家も、国民たちと意識が同一線上にあって、裕福になればさらに、自腹を肥やすことにばかり精を出している。 ヒマラヤ街道も、学校や吊り橋や水力発電所など、他国が援助して発展した生活文化はそここ…

ヒマラヤ山行(41)番外編 ネパールを思うⅣ「ネパリの世界観って」

登山やトレッキングの手伝いをしたり、旅行者の世話をして過ごすシェルパ業。 高峰を攀じる登山者につくシェルパ、トレッキングロードを誘導するシェルパ、ネパール市街を案内するシェルパもいる。彼らを総じてシェルパと呼んでいるが、シェルパ族としてはお…

ヒマラヤ山行(40)番外編 ネパールを思うⅢ「シェルパも出稼ぎに」

野遊がヒマラヤトレッキングでお世話になったポーターやキッチンボーイたちも、やがてそれだけでは暮らしていけずに、出稼ぎに行くことになる人が出るだろう。現に野遊たちをサポートしてくれたシェルパの一人が、この仕事の後、マレーシアに出稼ぎに行くそ…

ヒマラヤ山行(39)番外編 ネパールを思うⅡ「まるで身売り」

(38)「出稼ぎ」の続き 以下、4カ所からの抜粋文【マレーシア人口の1.64% ネパール人労働者 南北に細長いマレーシアは、ネパールの2.3倍の面積があり、その人口はネパールより200万人少ない。だが、スズや鉛、ボーキサイト、金、石油、天然ガスなどの天然…

ヒマラヤ山行(38)番外編  ネパールを思うⅠ「出稼ぎ」

2週間のトレッキングの後はカトマンドゥ観光旅行になり、毎日おいしいものを食べて体調も回復し、ヒマラヤ遊覧飛行に参加したりと遊んで帰路についたカトマンドゥ空港で、野遊は異様な光景を目にした。野遊たちと同じバンコク行きの飛行場には、多人数のネパ…

ヒマラヤ山行 終章(37) ソロ

一度この目でヒマラヤを見たいという願いがかなったすぐあとに、再びここに来たいという気持になるとは驚きだった。人って〜人って〜いったい〜・・・初めてのときは右も左も平面上でしかわからなかったが、こうして一度、この身をかの地に置いたのだから、…

ヒマラヤ山行(36)ハイライト! チョラパス、レンジョパス

期待していた山を見たときの喜びは格別なものがあるが、思いもよらぬ喜びもある。それは岩峰だった。二つの岩峰。Pharilapghe 6017m …ゴーキョから見てドゥドポカリの向こう岸、レンジョパスの前面に聳えている。 Cho La Col 5690m …チョラパスの岩壁。ゴー…

ヒマラヤ山行(35)名物朝の体操

小さな飛行機内で、みんなが窓外の景色に心を奪われているとき、それらに交じって、あの優秀なる鬼コンダクターが、狭い座席の通路側に半身を傾けながらうっつらしている姿があった。体がだんだん傾いていくので、本当の居眠り状態のようだ。 膝の上には、山…

ヒマラヤ山行(34)ラりグラス咲くルクラ

2014年4月1日 赤いラりグラス(シャクナゲ)咲くルクラはまだ寒く、ダウンを着こんでいるクライアントもいる。重量制限があり、個人が身につけていればそれは重量には入らない、ということで、往きは相当着込んだクライアントもいたが、帰りなのだから荷は軽…

ヒマラヤ山行(33)レンジョパス越え断念

ゴーキョに連泊して、二日目はチョ−オユーBC方面にトレッキング。 これは天候などでゴーキョ・ピークに登れなかった場合を考えての予備日。この日、リーダーが明日の予定変更を発表した。 例年より雪が深いため、行程9時間のレンジョパス越えを断念すること…

ヒマラヤ山行(32)ゴーキョ・ピーク Gokyo.re Ⅲ「ビューティフルビュー」

快晴。藍一色。「宇宙色の空」と言うらしい。 ゴーキョ・ピークからの景色は、エヴェレストが思ったより近くに、一番高く聳えている。その横(東)にはローツェ。ローツェシャールは肩をそびやかした感じでちょっと後ろ側になっていて、よくわからない。そこ…

ヒマラヤ山行(31)ゴーキョ・ピーク Gokyo.re Ⅱ「すごい丘、これがヒマラヤだ」

ゴーキョ・ピーク5360mは遠くから見ると黒い丘だ。ゴーキョから見あげても丘だ。周囲に錚々たる名峰の数々が聳え競っている、その手前の突起であり「何これ」という感じなのだが、もしこれが日本にあったらもう断トツ日本一なのだ。でも、どうも富士山よりは…

ヒマラヤ山行(30)ゴーキョ・ピーク Gokyo.re Ⅰ「セカンドポジション」

2014年3月26日(水)午前中快晴 ゴーキョ・ピーク アタック日! 5360mに登れ!!起床4:30(いつも通り、柄杓半杯ほどのお湯と、色つきお湯の紅茶MC) 朝食5:00(いつも通りのお料理を、いつも通りトレーごとNo thank you) 出発5:30(体ボロメタだけど喜…

ヒマラヤ山行(29)ゴーキョ 

ロバンガ、タウジュン、ドウドポカリ。これはゴーキョの第1レイク4710m、第2レイク4740m、第3レイク4750mのこと。 2014年3月24日(月)、マッチェルモ4470mからパンガ4480mを経て湖を左に見ながら進んでいく。湖からの風がものすごく寒い!!と、昨日リーダー…

ヒマラヤ山行 (28)現地人シェルパ

ヒマラヤ山行をしなくても山好きは、たいてい「ナマステ」と「ビスターリ」という言葉に親しんでいるだろう。ほかに「チト」「タギョ」などはネパリジャパニーズ用語みたいな感じで山屋の間で使用されていると言えるかな。それはシェルパがたと親密に交わり…

ヒマラヤ山行(27)お昼寝厳禁 鬼の鞭

このトレッキングはたいてい午前中行動だ。今日宿泊するロッジに着いてランチ、そのあと、部屋のキーが配られ、夕食まで自由。トレッキング前半は、高所順応のご近所ハイクがある。高度が3000mくらいまでは、物足りない気もしたが、こうしながら徐々に高度…

ヒマラヤ山行 (26)高度でゼーハー

ロッジでは息苦しくはないが、行動すると苦しくなってくる。 技術的に困難なことはなく、大きな荷を背負ったポーターやゾッキョたちも通るただの山道なのに、わずか登りがかかると、にわかに息があがるのだ。 固い空気の中に顔を突っ込んでいるような感じ。…

ヒマラヤ山行(25)ヒマラヤ見たさに身の程もわきまえず!

モン・ラ3973m。ドーレ4040m。マッツェルモ4410m。ゴーキョ4750m。ゴーキョP5360m。この日々が最も苦しかった。自分の感覚が横柄になっていった。まず着替えが面倒になっていった。持参した服は3種類。行動用の服一式に、その着替え一式。それとロッジに着…

ヒマラヤ山行(24) 薬の話Ⅱ「胃腸薬」

トレッキング4日目あたりから、腸の具合がメチャメチャ状態になって、ミヤリサンがどんなに大事か知ったけれど、そのあと胃も具合悪くなって、腸内環境を正常にする薬だけでは賄えなくなり、ふうふう言っている野遊に、胃薬をくれた人。同じツアーの仲間とは…

ヒマラヤ山行 (23)薬の話 Ⅰ「整腸剤」

持参した薬はミヤリサン。整腸剤だ。便秘、下痢に効く。野遊の息子が幼児のとき、具合が悪くなるとミヤリサンアイジのお世話になったので、野遊としてはなじんでいる。野遊の所属していた山岳部は断然正露丸派だったので、しばらく野遊もそうだったが、子供…

ヒマラヤ山行 (22)毎日シャリバテ?

大体何でも食べられるはずの野遊が、なんでこうなるのというほど食べられなくなって情けない。食欲がないわけではないけれど、シェルパがたが作ってくれる食事に拒絶反応を起こしてしまう。匂いが漂ってくるだけで「あ〜も〜ダメ」という気がしてくるのだ。…

ヒマラヤ山行(21)ダイアモクス

この薬を出すのは指定医があり、予約を入れて出かけた。カトマンドゥでも売っている。価格は日本よりずっと安いそうだけど、慣れていないので日本で用意していくことにした。 実はイヤだった。こんな薬、使いたくないと思った。最初から半錠ずつ服用して、30…

ヒマラヤ山行 (20)  パルスオキシメーター

朝夕、食堂に集合して小型のパルスオキシメーターで血中酸素飽和度数を自己測定して健康手帳に書き込む。それを優秀な鬼コンダクターが集めて、夜チェックして、朝また食堂に持ってくる。クライアントがめいめい自分のを取り出してパルスオキシメーターの使…